言語IQ130↑と推測された
IQなんて何にもならん。
このていたらくなのにそんなこと言われても。
そんなことより普通に動く体が欲しかった。
ないものねだりと言われるのだろうか。言われるのだろうな。
だけど運動障害で車椅子も検討してる今、本当に何にも!何にもならない!と思ってしまう。
どんなに思考を巡らせようとも、哲学が分かろうとも、なにをしようと
お友達と(恋人でもいい)丸一日遊んで楽しかったあ、明日も頑張るぞ!みたいな、そういう経験に勝るものなんてない。
私にはそんなの皆無なんだ。
それが、それだけがほしくて渇望してきたのに、でも持病で手放しに楽しかった!!!ってなることなんていまだに一度もなくて。
それで貴女は言語理解が……とか言われてもむしろかなりムカつくデスコンボ決められたような思いだ。
むしろ幼少期あんなに苦しかった(今が苦しくないという意味ではない)のは人より考えることが多かったからなのか?って思ったら死ねカス!って思った。
ここまでがそれを聞いて機嫌悪くなった時の文。
今は(とは言ってもあるカードで勝負するしかないよな…………)ってなってる。
とはいえ、やはり脳の中のことって本人の世界でしか物事を図れませんね。
読書で躓いたことはなくても、売られてる本なんだからそりゃ読めて当たり前、それが何?そう思っていたが 知的ボーダーの子に私の好きな本を勧めた時、何時間もかけて読もうとして挫折してらっしゃったなと思い出した。
そんなもので人間の価値が決まってなるものか、人間などみんな等しく無価値な肉塊だ、と思っているのには変わらないけれど、書くのが得意読むのが得意、そして自分にあるカードはそう多くないとなると、人生というカードゲームを遊ぶにおいて少しくらい意識するべきなのか、と思った。
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