231103 精神年齢は実年齢の0.7掛けです。
今日も一日お疲れ様です。
11月に入りましたが、日中の関東圏は気温20℃超え・・・。
立冬も近いというのに、本当に冬がくるのか?と思ってしまうほどです。
さて。
今日は、「精神年齢は実年齢の0.7掛けです」について書いてみようと思います。
この内容、見覚え(聞き覚え)のある方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
意味は読んで字のごとく、精神年齢は実年齢に0.7をかけた値に相当する、というものです。
私は約5年前に、発達障害(神経発達症)の一つ、ADHDとの診断を受けました。
そんな我々発達障害、特にASDとADHDの両者に言われがちなのが、考え方が時に幼くなる、ということです。
幼い、というと語弊があるかもしれませんが、要は子供っぽいところがあるということです。
そこまではいかないよ、という人でも、世間一般の同年齢の人たちに比べると、どこか未成熟なところがある場合が多いです。
(成熟とは何か、という議論はさておき)
この話をするときに度々目にするのが、今日のタイトルにも書いた「精神年齢は実年齢の0.7掛け」というものです。
私を例にとると、実年齢が30歳なので、精神年齢は21歳前後。
実社会ではそろそろ中堅社員の仲間入りという段階なのですが、マインド面はまだまだ大学生レベル、というところです。
これ、結構自分ではしっくりくるんですよね。
もう30だとわかってはいるんですが、どうにも「中堅どころ」という実感が湧かない。
これまで培ってきた(であろう)技量をより深めていくことよりも、無邪気に新しい刺激や興奮を求めてしまう。
服薬などで落ち着かせていなければ、気に染まぬ仕事はすぐ放り投げたくなります。
感情のままに動いてしまうと自分の社会的な立ち位置・足場を自ら崩壊させることになるので、何とか踏みとどまるために、常日頃から理性を総動員させている状態です。
まさに、ザ・ADHDといった感じですね。
でもこれは「0.7掛け」論からすれば、当然のこと。
なにしろ、心の中はまだ大学生なんですから。
社会に片足を突っ込んだばかりのフレッシュマン。
社会的責任というものは理解しながらも、でもやはりどこかまだ自由を求めて羽を伸ばす。
そんなマインドのまま、日々「中堅どころ」としての役割をこなしていきます。
30歳と言えば、すでに家庭を持ち、親としての役割も果たしつつ仕事もバリバリこなしている方々も多くおられます。
実際、周りで聞こえてくる話は、そういった子育ての悩み等の内容も多いです。
知識として頭にインプットしている内容なので、相槌を打ちつつ話に適切な返しをしていくことは可能です。(マニュアルみたいな感じです。)
でも共感することは到底できません。
だって、経験していないわけですから。
知識として知ってはいても、理解・共感はできない。
そんな話題が、年をとればとるほど、ますます増えているような気がします。
実年齢と精神年齢のギャップが、社会に出てからますます広がっていく。
どう頑張っても、精神面で、周囲と同じスピードで進むことができない。
取り残されるか、あるいは誰も目もくれない脇道を一人進んでいくしかない孤独感。
それが、ASDやADHDの人たちにとっての生きづらさの根本なのかもしれません。
というわけで。
今日は「精神年齢は実年齢の0.7掛けです」について、書いてみました。
最後に、表題の写真を。
↑↑
かなり前の写真にはなりますが、近年に比べて、昔はもっと綺麗な紅葉だった気がします。
今日もお付き合いくださり、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?