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狭くて広い日本

東日本大震災から5年。


あの日、東京は交通網も、流通も麻痺し、すぐに生鮮食品が手に入らなくなった。

原発事故の影響で、停電にもなった。


その20日後、私は子どもたちを連れて、名古屋にある実家に帰省した。

新幹線で名古屋駅に降り立った瞬間の空気の違いをいまだに表現できない。

たった1時間半電車に揺られただけなのに、別の国かと思った。

街の明るさも、デパートのショーウインドウも、スーパーの品揃えも、テレビから流れてくる内容も、地方紙の見出しも。

そして当然、そこから情報を得ている、自分の家族や友人の発言も。


日本全国、重苦しい雰囲気に染まれ、ということではない。

こうも違うのか、と驚いたのだ。


被災地の状況は今も正しく伝わってはいない、と聞く。

そもそも、場所によって状況は異なるのに「被災地」なんて一単語で括るのも愚かだ。


東京は日本の中心のような顔をしているけれど、たった300キロの距離でさえ、この大きな天災をもってしても結びつけることが出来ない。

ひとつになる、なんて、夢物語だ。それでも、想いを馳せることは出来る。たとえその想像が正確ではなくても。

せめて、少しでも広い視野と、視点を自在に操る術を持っていたい。


(数日後、都内の小売店から魚介類が消えたころ、愛知県の知人から浅蜊が届いた。隣人たちと、海の香りを分けあったことを思い出す)


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