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精神科受診に至るまで

今回は、私が精神科を受診するまでのお話し。

でもそれを話すには、前職の話を避けては通れないから、まずはそこから。

私は京都の女子大で、中国哲学史を専門に勉強してた。高校では歴史が1番得意だったし、好きだったから大学でもその分野の勉強がしたくて選んだ学科。

でも私がしてた勉強は、就職には全く活きない内容。だから就活では「将来転職しても身に付けた知識が活きる仕事」を探した。

もともと金融業界志望ということもあって、選択肢に上がってきたのが「会計業界」だった。
簿記3級しか持ってなかったけど、ものは試しで市内の会計事務所と税理士事務所を片っ端から受けた。

そしたらとある事務所の選考にスルスルと受かり、5月中旬には内定が出た。
地元に帰ってきて就活してたし、早く京都に戻って卒論書きたかったから、二つ返事で内定承諾した。

ここまでが前の会社を選んだ経緯。
ここからは入社してから私が壊れるまでの話。

4月に入社して最初の1ヶ月は、座学でひたすら会計や税法の知識を教え込まれる研修。5月からは社内で会計処理のみを行う担当顧客を持った。たしか5社くらい。

7月になると、客先訪問して会計処理を行う担当を持った。これも5社くらい。
秋には自分がメイン担当者として決算までやる担当もつけられた。たぶん4社だった気がする。

これに加えて、11月頃からは年末調整が始まった。自分の担当企業の全員分のデータを、申告ソフトに反映させて、税務署と自治体に提出できるようにする仕事。上司の依頼分もやってたから、トータルだと50人分は軽くやってたと思う。

そして年末調整が落ち着いたと同時に始まったのが、確定申告。これもまあまあ大変な作業の連続。

こういう季節業務の他に、月次の業務も当然ある。
私は要領も悪いし、知識の習得も他の同期より遅かったから、毎日残業せざるを得なかった。

他の同期が18時に帰るけど、私は21時まで残業。

この先どうなったか、勘の良い方はもうお分かりですね。
そうです、うつ病まっしぐら。

この冬の繁忙期で帰れなかった頃のことは、今となっては思い出したくても思い出せない。
これに関しては、今の主治医に「解離による健忘」だと言われた。

だから私が不調を自覚したのは、4月末頃。
同じ部署の先輩に、ある日突然呼び出された。

先輩は「表情がおかしい。あなたは気づいてないかもしれないけど、あきらかに体調が悪そう。心配だから、心療内科に行きなさい。」と言った。

正直その頃は夜全く眠れなくなっていた。
何もする気が起きないし、夜ご飯は面倒くさくて毎日ポテトチップス。お風呂も入れなくて、身体を洗うのは4日に1回。休みの日はベッドとトイレの往復以外は横になってた。

先輩に言われたこともあって、私は精神科の予約をした。幸い、家から地下鉄で一駅のメンタルクリニックを2週間後に予約できた。

初診の日。
問診票と簡単な心理検査を書かされた。

すぐ呼ばれた。
書いた内容を見て主治医は「教科書のような典型的なうつ病。会社を休職した方がいい。今日診断書出すから。」と言った。

私の本心は、診断がついてホッとした一方で、今抱えている仕事はどうする?誰かに取られてしまうのではないか?復職しても私が戻るポジションはなくなっているのでは?と感情が揺れ動いた。

でもとてもじゃないけど、会社に出社できる状態ではなかった。翌日、直属の上司とグループの部長を呼んで、診断書を見せた。
上司と部長は、「実は前々から気になってはいた。仕事のことはなんとかするから、気にせず休んで。」と言ってくれた。

こうして私は休職することになった。

実はこの休職、1ヶ月半で復職したあと再休職もしてる。これは話すと長くなるから、また今度。

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