心の中で動いていたものがフェミニズムだと気づいていなかった頃の私から今の私までを振り返る。 - 前編 -
3月8日の「国際女性デー」に向けて、Twitterでは
#なりたくなかったあれは私だ (※)
というハッシュタグに乗せて多くのツイートが更新されていた。
※「#なりたくなかったあれは私だ」というハッシュタグは、TBS報道局 川畑恵美子記者による ”社歴は20年を超えた。スーツを着れば、圧がかかる。何気ない一言にも、後輩にびくっとされる。そんな私がジェンダーを語ったら、バリバリのフェミニストに見えるだろう、少なくとも会社では。ああ、ついに私もそうなったか。なりたくなかったあれに。” という文から生まれたものである。(私たちはライバルじゃない、手を取り合う仲間たちだ。「#国際女性デー2020」他メディア連携になぜ参加するか。| ニュースが少しスキになるノート from TBS より引用)
私も自分の経験や想いをTwitterでツイートしていたし、他のフェミニストの皆さんのツイートを見ては勇気づけられ、背中を押されていた。
今回は、フェミニズムを知らなかった自分について振り返っていこうと思う。
⒈中学校時代
栃木県の田舎の中学校。
私は、学級委員長、部活の部長、実行委員会(学校で行われる年中行事の中心となるメンバー)、市内の各小中学校の代表が参加するいじめゼロに向けた取組についての話合いの学校代表など、積極的に取り組んでいた。
勉強が苦手だった分カバーできるところで頑張ろうと思っていたし、何より楽しんで取り組むことができていたからあまり内申点のことは考えなかったけど、先生や親から見ると「いい子」だったのだろうと思う。
部活で剣道をしていたこともあって髪は短いほうが楽だったからベリーショートにしていたし、何か言われた時に言い返せなかったら負けだと思っていた()ので、周りからは見た目も中身も男勝りだと言われていたし、自分でもそう思っていた。
この頃から、同級生の男子の女性の性が人格から切り離されたモノを扱う(認識している)ような発言が気になり始めた。彼らの知識が不十分であることも分かっていたし、それは学校で行われる性に関する教育、授業があまりにも少ないことも影響していると思っていた。
「これは仕方ないもの。」
「このくらいの年齢の男子はそういう言葉を面白く捉え、発言してしまうもの。」
そう思っていた。
しかしそう思っていた反面、やはりそれは恐怖でしかなかった。
"気持ち悪い。汚い。"
こんな感情が沸き起こる。
でもそれは私が気をつけていれば良いことなのだと。ボーイッシュでも私はミニスカートに憧れる瞬間はあったし、その度に長い制服のスカートを切りたくなったりもしたけど、自分の身は自分で守らないと。最後は”自己責任”だから。
そんな自分を守ってくれるものは厳しい校則。スカートの丈は膝下15センチ以上。下着はシャツから透けないように白で統一。「耳よりも高い位置でのポニーテールは男子を興奮させるから」という理由で耳よりも低い位置で。
下着の色まで指定されるなんてなんだかそれも気持ちが悪かったし、耳より高い位置のポニーテールで興奮するなんてどんな化け物だと思っていたけど、私は声をあげなかった。
剣道では大きな声を出すし、クラスに指示を出すときもハッキリ大きな声で言うし、先生からいじめゼロに向けた取組についての話合いの学校代表に推薦された時も全校生徒の前でのスピーチも乗り越えたけど、その心のモヤモヤに関しては声をあげなかった。
代わりに「こういうものなんだ」と自分に言い聞かせていた。
⒉高校時代
自宅の最寄りから一駅のところの公立高校に推薦入試で入学した。中学校での頑張りが報われたようで嬉しかったのを覚えている。
性に目覚めつつもなんとなく互いに恥ずかしさを持っていたような感覚はもうないような気がした。
ストレートに「可愛い」「かっこいい」と言い合う同級生たちが大人のようにも見えたし、昔から知っている人たちが知らない人になったようなむず痒さがあった。
同級生の男子の女性の性が人格から切り離されたモノを扱う(認識している)ような発言が気になり始めた中学校時代とはまた変わって、なんだかみんなが男女に近づいたようだった。
100%ガラッと空気が変わってしまったわけではないけれど。
やってみたこともあった()けど、そう長くは続くものではなかったし、不意に「何やってんだろう」と感じてしまったくだらなさが私の心を表す何よりの証拠だった。拭いきれない自分を安売りしている感覚があった。
女子全員がそうしていたわけではないけど、学年でも1位2位を争うほどモテる可愛い子に「ちょっとばかなくらいが可愛く思われるよ」と教わった時はよく理解ができなかった。現代文や英語が得意だった私とは反対の、数学や科学がよくできる子だったから、あまりにも理解ができなくて「駆け引きが得意なのね」ということを考えたりもした(それもそれでよく分からない)。
ばかなフリをして引っかかる男に何の価値があるんだろう。ばかなフリをした女の子に持ち上げられた男はそれで嬉しいのか。いやそもそもそれに気づかない男が喜ぶんだろうな。ばかなフリして(以下無限ループ)…
私には、
放課後に幼馴染の同級生と
高校近くのラーメン屋さんで胡座をかいてラーメンを食べたり、
校庭で見つけたコクワガタを眺めていたり、
真夏の暑い日にわざと電車で帰らず自転車を漕いで大口を開けて笑いながら帰る
時間の方が何倍も自然でいられた。
少しの間でも、つくりあげた可愛い自分でいることはできなかった。
男子に褒めてもらうために「可愛い自分」でいることは私は不得意だったようである。
後編に続く↓
▷⒊ 大学生1年生
▷⒋ 今(大学2年生、春から3年生)