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「自己責任」という名の公平性の押し付け「批判的思考」+25

クリティカルシンキングシリーズの続きです。(+10,+20,+21,+22,+23,+24

前回は、心のなかに2つの意図がバッティングすると起こる認知的不協和について説明しました。

今回は、「公平世界仮説」についてご説明します。

思い出を作れないのは自己責任?

たとえば、高校時代に良い思い出を作れなかった学生が、その事実を後悔しているとしましょう。客観的に見れば、良い思い出を作らなかったのは自己責任。しかし実際には、世界的に感染症が広まっており、外出禁止令が出ている事実がありました。

行けたはずの旅行が、感染症を理由に行けなかったのです。

ここで言いたいのは、客観的に見て「自己責任じゃない?」と言うのはカンタンです。しかしその学生の詳細な情報を知らないのに、被害を受けた学生にも罪があると言えるのでしょうか。

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大事なのはこの具体例の結果ではなく、「被害を受けた側にもそれなりに問題があるよね」という理屈のおかしさを理解することです。

世界は公平だと思いたがることを

「公平世界仮説」と呼びます。世界は公平で正しい者が救われ悪者が罰を受けるのが当たり前だ、という因果応報説ですね。要するに、被害を受けたのは「被害を受けた側」にも罪があるからだと主張しているわけです。この主張は文脈によっては暴論でしょう。

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いじめがいい例です。この話題になると「被害を受ける方にも問題がある」という主張が出てきます。この主張を断定的に否定はしません。しかしこの主張は状況を適切に吟味した結果出てくる必要があるのです。

他人の不正や不倫に過度に怒る理由

芸能人の不倫騒動に騒ぐ人も「公平世界仮説」を信じていると言えるでしょう。芸能人が不倫すると、「あんないい妻(夫)がいるのに!」なコメントがあります。このような考えになるのは、世界を公平だと思っているからであり、がんばっている人が報われてほしいと思いたいからですよね。

しかし実際の世の中は不条理で不合理なことばかりです。それでも本質的には、世の中は公平だと思いたがっているのです。

まとめ

「自己責任」というワードは便利です。しかしクリティカルに考えた末に使っていかないとナイフになってしまいます。まちがった使い方をしないよう気をつけましょう。

【考えてみよう】
40代で定職につけない男性が今の状況に落ち込んでいる。公平世界仮説で考えればこれは自己責任である。しかしとある事情を知り、その考えが間違いだとわかった。「とある事情」とはなんだろう?


読んでいただきありがとうございます。これからも読んでもらえるとうれしいです。