史的システムとしての「大厚木」
「やはり厚木にはすべてがある」と提唱しはじめてから約1年が過ぎた。
私にとって、東京・高円寺を離れ厚木に戻る決断をするその過程で「やはり厚木にはすべてがある」と言い切ることがどうしても必要なことだった。
その後、都内でも厚木市内でもいたるところで「やはり厚木にはすべてがある」と言い続けているが、都内の人なら「え!厚木にすべてがあるんですか!」と如実にとまどいの顔を見せ、かたやある年代以上の厚木市民なら「さびれたとはいえ、なんでもあるっちゃなんでもあるからねえ。電車ってめんどく