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史的システムとしての「大厚木」
「やはり厚木にはすべてがある」と提唱しはじめてから約1年が過ぎた。
私にとって、東京・高円寺を離れ厚木に戻る決断をするその過程で「やはり厚木にはすべてがある」と言い切ることがどうしても必要なことだった。
その後、都内でも厚木市内でもいたるところで「やはり厚木にはすべてがある」と言い続けているが、都内の人なら「え!厚木にすべてがあるんですか!」と如実にとまどいの顔を見せ、かたやある年代以上の厚木市民なら「さびれたとはいえ、なんでもあるっちゃなんでもあるからねえ。電車ってめんどくさいよねえ」と「言われてみれば」のイキフンで納得した顔を見せるのが大勢だ。
私は中町2丁目のマダムココのビルの最上階に昨年6月に引っ越してきた。
引っ越し後に近所のふとん店に行くと私と同世代ぐらいの女性店員が「駅前、さびれちゃったでしょう?」とやや複雑な表情で言う。
「やはり厚木にはすべてがある」という主張の力点は言うまでもなく「やはり」にある。「さびれたとはいえ」のニュアンスを「やはり」に込めている。
ふりかえってみると、戦後の高度成長期(石井忠重2代目厚木市長の時代)から厚木に住み始めた住民の多くが後期高齢者となった2010年代が厚木の街の「さびれ」が一気に顕在化したときであったと思う。日本の人口動態の歪みが厚木の街の「さびれ」に如実に反映されていたのだった。だがその後、市は子育て支援に力を入れ始め、2021年からLIFULL HOME'Sの住みたい街ランキング(首都圏版)の借りて住みたい街1位に「本厚木」が入り、その後も4年連続で1位をキープしている事実がある。つまり、厚木の人口動態が次の時代に向けた変容を始めたのだと言っていい。私も含めて「都内から厚木に急に戻ってくる」動向とも密接に関わっているともいえる。
その情感は、赤池志紀さんのこちらのテキストによく出ていると思う。
また、厚木市政70周年(2025年2月1日)にむけての思想課題として、史的システムとしての「大厚木」すなわち「大厚木システムをやってみる」そのイキフンのイキフンに至るのが今年である。
「都市概念としての『大厚木』を再定義する!」って暇発行人が言ってたけど、その言葉の重みが『やはり厚木にはすべてがある』を通して伝わってくるよね。空間と時間の間合いが、写真の濃淡として表現されていて、見る者に古くて新しい厚木の顔を感じさせる。#大厚木https://t.co/gqslJfa2sE
— 『暇』info(磯野) (@himamaginfo) February 29, 2024
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