#54 文化×食 日本の鳥食文化
#53の記事で紹介した信長の茶会の料理にいろいろな鳥が使われていました。ハクチョウも食べていたのか、と驚きました。現在の日本では鳥肉といえばニワトリなので、当時の食習が気になり、調べてみました。
菅豊氏の著書「鷹将軍と鶴の味噌汁」(講談社)によると、平安時代から江戸時代まで、日本では、かなり多くの種類の野鳥を食べていたことがわかりました。鎌倉時代には、刺身や干し肉などに調味料を付けて食べる素朴な料理だったものが、室町時代以降、様々な料理法が編み出されました。おいしく食べるために、鳥の種類別に適した調理法まで考えられています。江戸時代にはさらに料理の種類が増え、「料理物語」には37品目の鳥料理が紹介されています。
織田信長については、1582年に家康をもてなした宴の献立が紹介されていました。焼き鳥、ツルの汁、カモの汁、ヒシクイ、ヒバリ、カモとガンの汁、ハクチョウ、アオサギの汁、カモの羽盛 など、いろんな鳥が使われています。妙覚寺で見た茶会の献立にも似たような料理がありました。この宴を担当したのが明智光秀だったのですが、あまりにも料理が豪華で将軍をもてなす料理と同じレベルで接待が過剰すぎると激怒し、光秀を厳しく叱責します。その遺恨が原因になって光秀は本能寺の変で信長を討った…という逸話が江戸時代の小説に書かれているそうです。
鳥は食材として重宝されるだけでなく、政治、経済、儀礼などにおいても、ひじょうに重要な役割を果たしてきました。江戸時代の歴代の将軍は、鷹狩で野鳥を狩り、これを天皇に献上し、また大名や家臣に獲物を分け与えました。一番ランクが高いのはツルで、ついでガン、ヒバリと続きます。いずれも、鷹がとった鳥である、ということが重要だったそうです。大名が将軍に献上し、その鳥が朝廷に送られるというルートもありました。これらの鳥の受け渡し、さばき方にも、いろいろと決まりごとがあって、儀式が行われており、このことからも鳥が単なる食材でないことが伺えます。
中級・下級の武士たちは雁鍋や鴨鍋を、裕福な町人は料亭で野鳥料理を食べ、庶民は鴨南蛮や雀焼といった素朴な料理を食べていました。鳥の販売は鳥問屋という幕府が許可した専門店でのみ行うように管理されていましたが、密漁、密売、不正などが横行していたようです。
それから、お歳暮の品としても、鳥が使われていて、もらった鳥を別の人に贈って使いまわすということもされていたようです。そのうち、古くなって、おいしくなくなるといったことが、当時の書物や俳句などに書かれています。
野鳥をお歳暮に送るという風習は、結構最近まで行われていたようです。鳥の肉といえば、ニワトリの肉になってしまった現代では、ちょっと想像ができないですね。
このほかにも、江戸時代の鳥食についての論文があります。
「江戸時代におけるツルの狩猟」久井貴世(野生生活と社会、第4巻、2016年)
「江戸時代における獣鳥肉類および卵類の食文化」江間三恵子(日本食生活学会、第23巻、2013年)
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