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30周年・その血筋を紐解く旅 ~福山雅治『AKIRA』より~

人は、この男の名前を聞いたとき、どんな姿を思い浮かべるのだろう。

ある人は、彼を俳優と言うだろう。
科学者の役や息子を取り違えてしまった父親の役だとか、その演技はドラマや映画を彩り、日本の演劇シーンに大きなインパクトを残す役者のひとりとなっている。

ある人は、彼をラジオDJと言うだろう。
その軽快なトーク、時々下ネタも入ってしまうその会話で、長い間、多くのリスナーを楽しませてきた。今では土曜の昼間や平日の深夜でその声を楽しむことができる。

ある人は、彼を写真家と言うだろう。
近年では、NHKスペシャルで世界を旅する模様が伝えられ、その場で見た景色を収めたり、その時間や感じた瞬間を切り取ってきた。そのことは、彼の中の創作に大きく影響してきたという。

そして、ある人は彼を歌手と言うだろう。
その低音ボイス、艶のある声、自らが紡ぐメロディと歌詞はどれだけ多くの人を魅了してきたのだろうか。ギタリストとしても数多くの印象的なフレーズを残してきている彼は、30年もの間、日本国内だけでなくアジア圏など世界を魅了している。

今回は、そんな彼の歌手デビュー30周年を記念した1枚をまとめる。

福山雅治、その男の歌の話をしたい。

福山雅治の30年

前述の通り、福山雅治というと、歌手としての一面だけでなく、俳優やラジオDJ、写真家としての一面も持っている。故に、彼が活躍し続けた時間軸を音楽的な部分だけで説明することは、少し難があるといえる。しかし、今回はその音楽的な部分をフォーカスして話をしていきたい。なんせ、これって「音楽レコメンド」ですので。

1990年3月にリリースしたシングル『追憶の雨の中』でメジャーデビューを果たした福山雅治は、2年後に発表したシングル『Good night』で初のトップ10入りを果たすと、そこから大きな勢いを増していく。

『IT'S ONLY LOVE』、『HELLO』、『Squall』、『桜坂』、『虹』、『milk tea』、『最愛』、『家族になろうよ』など、数多くの名曲を発表し、日本の音楽シーンにおけるトップランナーの一人となった。
ライブの規模も徐々に大きくなり、アリーナツアーやドームツアー、スタジアム公演を成功させるまでになった。年末恒例となった年越しカウントダウンライブは、毎年大きな賑わいを見せていることも、記憶に新しいはずだ。

そんな彼は、今年デビュー30周年を迎えた。そんな2020年は、とても華やかな1年になるはずだった。3月には横浜アリーナで3日間の公演も予定されていた。夏には地元・長崎の稲佐山での野外ライブ、秋から年を跨いだ全国アリーナツアーも決定していた。しかし、これらはすべて昨今のウイルス感染拡大とイベント開催制限によって、延期・中止となってしまった。

そんな彼は、近年多くの新曲を発表していた。人気アニメ映画の主題歌や自身も出演するCMソング、ドラマ主題歌からスポーツ中継のテーマソングまで、多数の方面でのタイアップ曲を書き下ろしている。それらは、来る30周年に向けた小さな足音として、その時その時間をワクワクさせた。

そして、2020年12月8日。
前作から約6年8か月ぶりとなる、待望の最新アルバムがリリースされた。

父親の存在、自らの音楽の原点

最新アルバムのタイトルは『AKIRA』。
これは、福山雅治本人の父親の名前である。父・アキラさんは、福山さん本人が17歳の時に、癌で亡くなってしまった。以降、自らは母親の手で育てられたと語っている。

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そもそも、なぜ彼は30周年というタイミングで父親についてのことを歌おうと思ったのだろうか?過去には、『誕生日には真白な百合を』で亡くなった父親への思いを綴っていた。子どもが親についてを表現することは、きっといつだってできたことかもしれない。なぜ、このタイミングだったのか?

このアルバムの特設サイトには、以下のような紹介文が掲載されている。

6年8ヶ月ぶりとなる本アルバムを制作してゆく中、自身の父親が他界した年齢に近付いてきた中で「AKIRA」というタイトル曲が生まれ、アルバム全体を貫くテーマとなりました。今作は、人間の存在について深く掘り下げた前作『HUMAN』よりも、自身の表現欲求に深く踏み込み、17歳の頃に体験した父親の死と真正面から向き合い、脈々と流れ受け継がれてゆく〝血″を直視。「〝死生観を描く″ということにフォーカスを絞り、焦点をハッキリさせたい」と覚悟を決めた30周年を迎えたシンガーソングライター福山雅治が踏み出す、新たな表現の始まりの一歩がこのアルバムです。
(福山雅治 30周年オリジナルアルバム「AKIRA」特設サイトより)

また、テレビ番組のインタビューでこのような話に触れている。

僕のシンガーソングライターとしての始まりとして、動機として、父の他界というものがあって。デビュー当時から書いてはボツにし書いては消し、みたいなことを繰り返していたんですけど、父親が他界した年齢に僕自身の年齢が近づいてきたことによって、ここで一回自分のソングライティングの動機、始まったきっかけというものを描かないと、30周年にふさわしいアルバムにならないと思ったんです。(中略) (父の病気・母の看病に対し)僕自身はそれに対して何か手伝えることもなく、非常に迷惑をかけたり自分で何もできなかった、自分でも繰しかった時期に、傍らにはギターがあって、音楽があって、自分で自分の苦しみから解放されたくて、ソングライティングが始まったと思うんですね
(日本テレビ系列「スッキリ」2020年12月10日放送回より)

自らの年齢が父親が亡くなった年齢に近づいたこと、そしてその父の病気によって始まったソングライティングが、歌手・福山雅治を構成する大きな要因だった。つまり、父親の存在・その死が彼をここまで突き動かしたということだった。

タイトル曲『AKIRA』の歌詞には、こんな言葉がある。

僕が傷つけた人たちと
母が守った家族の日々と
僕が逃げ出した故郷の風と
父が帰りたかったあの家と

淀みなく
とめどなく
刻み続ける鼓動

父と母から
繋がれたこの鼓動

流れる血が教えるものは
生きる意味 生きる道
(福山雅治『AKIRA』より)

生きるということ、今がどうしてあるのかを突き詰めた先にあったものが、この曲であり、このアルバムの軸だったのだ。つまり、自らのルーツを紐解くことで、自身の音楽的な価値観や見ている景色を伝えたい。それが、このアルバムの真意だったのだ。

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早速、アルバムを聴いてみた。

ここから本格的にこのアルバムのレコメンドをしていきたいと思うのだが、個人的にこのアルバムに対する最初のイメージ、特に聴く前に抱いていたイメージは、あまり好ましいものではなかった。

というのも、収録されている17曲のうち11曲がタイアップに起用されていて、残りの6曲のうち3曲は2018年に行われた全国ツアー「FUKUYAMA MASAHARU WE'RE BROS. TOUR 2018」で初披露されたもの、つまりは未音源状態となっていた作品だった。故に、このアルバムでの完全な新曲は3曲だけだし、それを「30周年記念アルバム」と銘打ってることから、ぶっちゃけこの作品って2016年の配信シングル『1461日』以降のベスト盤みたいなニュアンスが近いんじゃないかなぁ、って思ってたんです。

もちろん、彼の新作を心待ちにしていたのは事実だったし、前作『HUMAN』もリアルタイムで買っていたので、今作がどんな感じになるんだろう?という思いはありました。でも、「彼のアルバムって、シングルの多さからアルバム色(作品1枚を通じて行う表現)ってあまり強いわけじゃないよな...」みたいなイメージは拭えないままでいました。

そんな中、聴いてみた。

60分越えの1枚、聴いて感じたこと。

このアルバム、めっちゃ良い。

なんか、過去の作品の中で1番好きかもしれない、ってやつ。この言葉、利用頻度多いと危険な言葉だけど、なんかこの1枚に対してはそれが相応しいような気がして儘ならないのだ。

その理由、どうして面白いって思ったのか。それは、このアルバムがいくつかの章立てで構成されているからだと感じたからだった。言えば、全体を通じてひとつの思いへ辿り着く。そんな旅をしたような感覚を覚えたからだ。

それを具体的に示すなら、こんな感じ。

1曲目『AKIRA』
•••イントロダクション

2曲目『暗闇の中で飛べ』~5曲目『漂流せよ』
•••第1章;自らの存在証明

6曲目『トモエ学園』~8曲目『甲子園』
•••第2章;今(大人になった自分)が思う少年時代

9曲目『ボーッ』~14曲目『いってらっしゃい』
•••第3章;今を生きる感情

15曲目『零 -ZERO-』~16曲目『始まりがまた始まってゆく』
•••第4章;未来へ

17曲目『彼方へ』
•••アウトロダクション

って感じ。大まかに部類するなら。
この、チャプターごとに区切って分解すると、このアルバムを「30周年にふさわしい1枚」とどうして本人は断言しているのか。
きっと見えてくると思う。

福山雅治の存在意義

1曲目『AKIRA』は最初にまとめておいたので、ここからは第1章の話をしていこうかと思う。2曲目の『暗闇の中で飛べ』から5曲目の『漂流せよ』までのことを見ていきたい。

前述にある2018年のツアーで初披露され、長らく音源化なされていなかった3曲が、序盤にある『暗闇の中で飛べ』、『Popstar』、『漂流せよ』の3曲だ。そこに、大泉洋主演の映画「新解釈 三国志」の主題歌として書き下ろされた新曲『革命』の4曲がこの章には存在する。

ツアーで披露されていた曲たちには、共通する意味合いがあったように思える。それは、「福山雅治がステージに立つ理由」や「自らがここにいる存在意義」というものに思える。不安の中での一歩を踏み出す覚悟を歌った『暗闇の中で飛べ』、ショービジネスの中での快楽や醜態を描いた『Popstar』、自らを探し始めて旅をする姿を異国情緒の空気感とともに閉じ込めた『漂流せよ』の3曲は、どれを切り取っても「福山雅治という存在って何か?」を描いた曲だった。

咲いたって散ったって
花は花
泣いたって笑ったって
それが私だ

さぁ この暗闇の中で
暗闇の中で飛ぶんだよ
(福山雅治『暗闇の中で飛べ』より)
数え切れぬほどの称賛の声
時にそれ以上の
悪意と中傷さえも
楽しめてる私こそ
Popstar
(福山雅治『Popstar』より)
「考えるな感じるんだ」
しがみついてた
日常から
五感を
いま
解き放てよ
(福山雅治『漂流せよ』より)

そんな空気感の中に挟まれている『革命』は、映画主題歌をイメージして書き下ろした1曲であるが、アルバムを通して聴いてみると、彼自身の生き方や信念が詰まった曲になっているように思える。

世界が変わるんだ 私が変われば
想像を超えるんだ 私を超えるんだ
(福山雅治『革命』より)

前半は、バンドアレンジが光る曲が多い。『Popstar』や『革命』も、ギターの音が印象なナンバーであった。ギターのカッコよさが印象的なナンバーほど、意志の強さや確固たる信念を、福山雅治本人がよく曲に落とし込めてきた。過去のナンバーを例に挙げるのなら、『想 -new love new world-』や『GAME』といった曲がわかりやすいように思える。

どの曲も、自らの信念を映し出すことで、「福山雅治という存在」を強く映し出している。そこに、生き方や自らの野望を映し出している。いえば、彼のルーツにある「ロックな側面」というのは、そんな部分なのだろう。ギターの音とともに、その立つ姿に彼のカッコよさを感じるのは、その魅せる存在意義というものに、震えるからなのかもしれない。

そんな第1章は『漂流せよ』で締めくくられる。自らの思いは旅していく。思えば、このアルバムのコンセプトには「父親という存在を紐解く」というものがあった。そんな血筋を辿る旅は、少年時代へと進んでいく。

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少年時代から発見するもの

ここから第2章。
6曲目の『トモエ学園』へ突入する。

この曲は、タレント・黒柳徹子の子ども時代の経験を描いたドラマ「トットちゃん!」(テレビ朝日系 2017年放送)の主題歌として書き下ろされた1曲。タイトルにある『トモエ学園』は、小学生のころ彼女が通った学校の名前であり、黒柳徹子本人にとって大きな影響を与えた場所だった。

続く、『失敗学』はドラマ主題歌として書き下ろされたナンバーであり、失敗しながらも学び続けることが成功へとつながると歌う、福山雅治なりの応援ソングだ。そして『甲子園』は、NHKの高校野球の放送テーマ曲として書き下ろされた1曲で、甲子園のアルプススタンドでの応援の吹奏楽をフューチャーしたようなホーンセクションの音とパーカッションのビートが印象的な1曲だ。

この3曲が続くことで感じるのは、どれも自分の過去やルーツを今の年齢なりに汲み取って言葉にしているという点だ。自分なりの過去の純粋さや挫けた姿、そして立ち上がって今に進んでいった自分自身というものが、この章では色濃く描かれている。

先生 友達
わたしの心
育ててくれたの
学び舎の日々
ありがとう
(福山雅治『トモエ学園』より)
君が探している
「正しさ」に近づけますように
負けないでください
僕ら必ず失敗する
だけど
それを「血肉化」出来れば
それは失敗じゃないんだ
(福山雅治『失敗学』より)
忘れないよ
僕らぶつかったり励ましあったり
傷付いても ひとりじゃなかったね
(福山雅治『甲子園』より)

この曲に共通しているのは、全曲がタイアップとしてオーダーされて、書き下ろした曲だったということ。どれも、それぞれの思いやテーマの中に書いた言葉やメロディだった。その中で、自らの少年時代の経験や思い、それが今をどう紡いだのかを描いたということが、自らの血筋を辿る旅には大きな要素だったといえるわけだ。特に、『甲子園』に関しては、自らが少年時代に野球少年だったことの経験がエッセンスとして入っている。自ずと、子どもの時にみていたものから、自らが歩んだ道のりを映し出していたのだ。

『失敗学』のように、躓いても立ち上がること、『トモエ学園』のように、純粋さを失わずに生きること、『甲子園』のように、かけがえのないものを胸にして生きること。そんなことが、今日を生きるルーツになっている。

今を生きること・自分を歌うこと

9曲目の『ボーッ』から、血筋を辿る旅は今ある時間軸に突入する。14曲目の『いってらっしゃい』までの計6曲、見ているものは今ある感情を歌っていく。それは、日常の中にある幸せや恋心、そして気付きが紡がれている。

『ボーッ』では、気軽に生きていこうとする気持ちや今ある自らの思いが、シンプルなアレンジとともに歌われている。現在放送中のドラマ「#リモラブ 〜普通の恋は邪道〜」(日本テレビ系放送)の主題歌として書き下ろされた『心音』は、恋の始まりの切なさが描かれている。CMソングとして放送中の『幸せのサラダ』は、曲のタイトルの様にサラダを祝することや誰かとおいしいを共有する幸せを歌っている。

ねぇねぇボーッとしようぜ
今日はボーッとしようぜ
絶対仕事はしない
しちゃダメだってルールで
今日はボーッとしようぜ
(福山雅治『ボーッ』より)
見つけてしまった 君のこと
始まってしまった 恋心は
片思いかも知れないのに
苦しいほど いま逢いたい
(福山雅治『心音』より)
赤 黄 紫 白 緑色
活き活き生きている
命の色だ
とても美しい
(福山雅治『幸せのサラダ』より)

続く『1461日』は、2016年のリオデジャネイロ五輪放送テーマソングとして書き下ろされた1曲。今アルバムの収録に向け、新たにリズムセクションを取り直したアルバムバージョンとなっている。この「1461日」という日数は、2012年のロンドン五輪から2016年のリオデジャネイロ五輪までの日数となっている。そんな道のりに向けて挑む人たちを称える歌詞となっている。

僕は君を見てると
勇気が出ちゃうんだよ
1461日
人知れず積み重ねたものが
あふれ出してしまうから
(福山雅治『1461日』より)

続く『聖域』では、世界観は一変し、ジャジーなサウンドに女性目線の生き方や信念を描き、誰にも邪魔されない自らの領域=聖域となる心の模様を色気たっぷりに歌っている。

正直だねって言われるんです
よく綺麗って言われるんです
自分じゃ全然思ってませんが
あらイヤだ これ嫌味ですか
(福山雅治『聖域』より)

目覚まし時計の音や軽快なメロディが印象的な『いってらっしゃい』は、朝の食卓の景色を母親・主婦の目線で描いた歌詞が書かれている。小さな幸せを願う姿や出勤や登校する家族を家から元気よく送り出す描写がある。

いつも通りに目覚まし
いつも通りに支度して
さあさあ朝ごはん出来たよ
おはよう 元気
いただきます
(福山雅治『いってらっしゃい』より)

この章にある言葉たちは、中性的な側面が強い。見方によっては、男性的な言葉にもなるし、女性的な意味として切り取ることができる。このチャプターを「今を生きる感情」と示したが、それは、生活的な幸せや妬みといった気持ちの変動が強いからそう見たわけではない。この「男性的にも女性的にも見える」というところが、この部分の大きな肝となる。

このアルバム全体のテーマとなる「血筋を辿る旅」というものは、源流には父親との離別があげられるのだが、ここに大きく付随する要素に母親の姿というものが見えてくる。父親という、人としての姿や男としての側面を見ることは、子どもとしての思いを切り取るだけでなく、母親から見た、母親から見れば妻として、ひとりの女性としての見方というものが可能となってくる。

今を生きるということは、誰もが何かをひとつのように見ていることをさすわけじゃない。人の数が居れば、その数だけその見方はある。つまり、ここで一回「男として、息子としての血筋を辿る旅」という部分から、「人として、誰もが見る血筋を辿る旅」という感覚にシフトアップするわけだ。

この視点は、2020年の福山雅治だから書けた言葉や気持ちだと思える。前作『HUMAN』と今作『AKIRA』にある本人の大きな変化というと、結婚して子供を持ったということがある。いえば、一家の主として、旦那として、そして父になって感じる言葉が、今の彼を突き動かしたのかもしれない。

「今を生きる」ということは、その変化から見た自分を知ること、そしてその景色を良くも悪くも受け入れて自分自身を紡ぐことにある。だから、ボーッとしたくなったり、恋する気持ちを覚えたり、そんな日々ある景色を歌にするという、彼なりの今がここには強く映し出されている。

未来の可能性は零から始まってゆく

アルバムも残り3曲となった。
血筋を辿る旅は、終盤戦となった。

ここでは、15曲目の『零 -ZERO-』と16曲目の『始まりがまた始まってゆく』の2曲を見ていく。最後の曲に続くこの2曲は、先ほどまで見た「今を生きる」思いから、「未来を切り開く」道へと進んでいく重要なシーンだ。

2018年に公開されたアニメ映画「名探偵コナン ゼロの執行人」の主題歌となった『零 -ZERO-』では、主人公に重ねた真実を探し求める姿や大切な誰かを守りたい覚悟、正義は何なのかと問う思いを零(0)という数字に重ねて歌った、ラテンテイストのギターの音色が印象的なナンバーとなっている。

愛の名のもとに
誰もが愛に迷っても
真実はいつもひとつ
だけど正義はいつも
ひとつじゃない
無限なんだ

無(ゼロ)じゃないんだ
(福山雅治『零 -ZERO-』より)

『始まりがまた始まってゆく』は、CMソングとして書き下ろされ、昨年末行われた年越しライブ「福山☆冬の大感謝祭 其の十九 ALL SINGLE LIVE」で初披露された1曲。人生をステージに例えた歌詞は、新しい日々を「始まり」と称え、高らかに歌っている。

「始まり」はまた
始まってゆくんだ
さがしてた
僕が知らない 僕に会いに行こう
(福山雅治『始まりがまた始まってゆく』より)

この2曲は一見したら、対比的な世界を歌っているように思える。『零 -ZERO-』で心の中の暗い部分の葛藤を歌っているのなら、『始まりがまた始まってゆく』では新しい世界へ向けた明るい光の側面を持っている。

しかし、暗い感情や明るい思いには、必ずイコールの世界戦が存在する。完全な幸せが存在しないように、不安や葛藤の中で希望を見出したり幸せを覚えたりする。それを鑑みれば、この曲は同じ世界線にあると言えるはず。

この2曲に共通する点は、どちらも一歩を踏み出そうとする思いが垣間見えるということだ。『零 -ZERO-』では、完全な正解など無い中で、ひとつじゃない正義を探している。『始まりがまた始まってゆく』では、うまくいかない人生の中で、見たことのない自分に会いに行く思いを歌っている。

未来も可能性も、愛も人生も、全てゼロから始まる。それは、人間誰しも同じ話だ。この歌を紡ぐ旅人も同じこと。
それを思うと、ここは未来を歌っているようで、本当は自身の過去を歌っているのがしれない。でも、この旅の中には過去を見ることで未来を知り、未来を見ることで過去を知るという2面性がある。思えば、序盤の少年時代にも今見ている未来にも、同じ景色があった。

例えば、そこにあった失敗を受け入れて突き進んだ『甲子園』と、完全な「正しさ」もない中で可能性を探す『零 -ZERO-』は、ニュアンスは違えども、ベクトルは近いように思える。それは、言えば「福山雅治」という生き方から、その景色を映し出していたからなのかもしれない。

このように、過去にあった景色も未来を見ている景色も、全ては自分自身の「血の轍」であるということを、証明しているというわけだ。福山雅治という生き方をする、自らの新しい「始まり」を始めてゆくこと。そんな未来で、新しい一歩を踏み出そうとしているのだ。

"あなた"と、生きる未来

最後の曲は『彼方へ』。ピアノとストリングスをメインで構成されたこの曲は、一言一言をかみしめながら歌っている印象を覚える。

特に、この曲の大きな聴きどころをあげるとするのなら、サビをファルセット(裏声)で歌っているということだ。ひとつのフレーズ全体をファルセットで歌いきる曲は、彼の歌の中では滅多にない例だ。普段なら、あの低温ボイスで歌い切ったり、最後の一言だけ裏声を用いて歌うというやり方を、彼なら行っていたはずだ。どうして、彼はファルセットでメロディを歌ったのだろう。

この曲では、彼の死生観を映し出している。この曲に対して、インタビューでこのようなことを語っている。

心にあいた穴をふさぐという言葉がありますけど、完全にふさがらなくてもいいんじゃないかと、年齢を重ねるにつれ思うようになってきたんです。ふさがらない穴や消えない傷痕というのは、大切な人が確かに自分の中にいたという証。痛みや喪失感とともに生きていくことで、その人がいまだに自分の中に生きていると言えると思う。残された人の、それでも生きてゆこうとする強さを表現したかったんです
(Apple Music 福山雅治『AKIRA』iTunesレビューより)

彼のソングライティングの原点を追う道のり、その血筋を巡る旅は、父親の喪失から始まったということを、1曲目の『AKIRA』で提示した。このインタビューで「痛みや喪失感とともに生きていく」と語ったように、最後の『彼方へ』では、その喪失を受け入れて生きていく思いが込められている。

ここでファルセットを使ったことには、その気持ちを強く写し取った思いがあるように思える。ファルセットの中には、繊細さや脆弱さを思うと同時に、祈るような思いがイヤホンから伝わってくる。

遠く 遠く 遠く
星より遠くの場所

遥か 遥か 遥か
彼方で逢えるのですね
(福山雅治『彼方へ』より)

亡くした喪失感とともに生きる。そんな中で、父が亡くなった年齢に近づいてきた。必然と「死」というものを思うようになった。この曲では、一人称を「私」、2人称を「あなた」と歌っている。ここにある「あなた」とは、きっと亡き父・アキラさんのこと。父がいる遠い彼方で逢える日まで、私は今を生きる。それが、福山雅治が父に対して思うことで、この血筋を辿る旅の終着点なのだ。

波は 寄せて 返す
あなたは永遠を生きて

今を 今を 今を
私は今を生きて
(福山雅治『彼方へ』より)

30周年、今何を思う?

この血筋を辿る旅を通じて、福山雅治は一つの境地に辿り着いた。それは、彼自身が歳を取って、今を生きたから思うことであるだろうし、この歳だから感じた思いなのだと言えるはずだ。

このアルバムにあった血筋を辿る旅・亡き父に対する思いを見つめることは、これからもきっと続くだろう。序盤に挙げたテレビ番組のインタビューで、本人はリード曲『AKIRA』に対して、このように続けていた。

書いてみて、楽になったところはあるんですけど、あくまでこれは「AKIRA 第一章」で、ここから色んなことを書いていくと思うので、楽しみにしていてください
(日本テレビ系列「スッキリ」2020年12月10日放送回より)

彼のソングライティングに終わりはない。その先にある歌が、福山雅治の新たな「始まり」となっていくのだ。

最新アルバム『AKIRA』
この1枚は、2020年の福山雅治を辿るマスターピースとなっている。2020年末、聴き逃せない1枚がここにある。

最後に・・・

#Shiba的音楽レコメンド Vol.30 でした!!

先日のMr.Childrenのレコメンドに続き、今回もまぁ長いこと(笑)

よく、、書いた。
そして、ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!これからのましゃの活動が、楽しみなばかり。ツアー、、行けたらいいな… なんてね。

毎度、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

もし読んでいて「面白いな」とか思ってもらえたら、TwitterやらInstagramやらなんかで記事の拡散なんかしてくれたら嬉しいな、なんて思います。よかったら、noteのいいね&フォローよろしくお願いします!

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