私の中のデザイン
近々私の会社のデザイナーで集まって「自分なりのデザイン哲学を発表する会」のようなイベントがあるため、それに備えてnoteでもまとめてみようと思います。
現実世界にイデアを実在させようと試みる行為
なにやら響きが宗教的なものになってしまいましたが、スピリチュアルな内容ではありません。
イデアというのは、古代ギリシャの哲学者であるプラトンの「イデア論」という考え方で登場する概念です。
「ものごとの真の姿」のようなニュアンスで、イデア論によるとこの世に存在するものは全てイデアの偽物なんだそうです。
例えば私達がコンパスで描いた円を見たときに、それを円だと認識することは出来ますが実際は絶対に歪みやズレが生じています。
全く少しの歪みも無い円というのが円のイデアですが、現実世界には存在しません。
私達はコンパスで書いた歪んだ円を見てイデア、つまり全く歪みの無い円を想像しているに過ぎないようです。
(イデア論について正しく学んだわけではないので、もし内容に間違いがありましたら教えていただきたいです。)
なぜデザインの話でイデア?
何かを作るときにクライアントなり、チームなり、自分なりの頭の中に「こんな◯◯は最高なはず!」という思いがあって、その思いは純度100%の理想でイデアです。
そのイデアは、デザインという行為を通して人の目に見える形になります。
このとき「目に見える形」というのはポスターかもしれませんし、ガジェットかもしれませんし、アプリかもしれません。
イデアを実在させるための手法としては色々な選択肢があることと思います。
他の選択肢でも実現できたのかもしれないけど、実際に作ったものでしか世の中からは知覚されません。
現実世界に完全な円を描くことができないように、頭で考えた思いを100%実現することはできません。
ですが、より100%に、イデアに近いものを追い続けることはできます。
何度の失敗も厭わず、少しでもイデアに近づけていく行為がデザインだと思っています。
「現実世界にイデアを実在させようと試みる行為」という言い回しなのはこういった理由があります。
一般的なデザインの定義との違い
・問題解決
・問題提起
・問題特定
・価値創造
よく「デザインとは」と定義されているのはこのあたりかなと思います。
特に問題解決はよく聞きますね。
私としては、イデアを実在させようとすれば結果的に上記全てを包括できると思っています。
解決したい問題が明らかになっていれば、それを解決することが理想です。
「何かがおかしい、でもどこが悪いか分からない」というときには問題を提起したり特定したりすることから始まり、その後に解決できることが理想です。
やりたいことはあるけどやり方が分からないというのであれば創造して実現させてあげることが理想です。
「なによりも問題の解決が大事だ」
「いや、問題の特定の方が大事だ」
といった議論が起こるとしたら、どこに時間を割くかを話しているだけのように感じます。
私はクライアントや自分のチームのイデアの実在に近づければ良いとしか思っていません。
それぞれのイデアにあわせて必要なステップを考えて、必要なだけ時間をかければ良いというスタンスです。
まとめ
デザインとは、現実世界にイデアを実在させようと試みる行為
イデアの実在のためにどのような手段をとるのかは問わない。
むしろ手段を規定せずに、案件ごとで何をするべきか考えて変えていかなければならない。というお話でした。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!