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はじまりの街。稚内へ(JR最長片道切符の旅2022夏第1日-1)

はじめに

 みなさんは最長片道切符というものをご存じでしょうか。最長片道切符とは、鉄道を使って最も遠くまで行ける片道切符のことです。私は2022年8月にこの切符を使って旅行しました。これからその旅の様子を伝えていきたいと思います。旅の初日の今回は、最長片道切符の出発点である北海道の宗谷本線・稚内駅へ向かいます。


 情報はなるべく正確性を期すように努めますが、googleの行動記録などを参照するため一部事実と異なる場合があります。また、2023年3月のダイヤ改正により列車の運行時刻や行先が変化しています。従いまして本旅行記を参考に旅行される場合は必ず最新の時刻表をご確認ください。

稚内へ、憧憬を辿る旅

 最長片道切符とは、日本に存在する片道切符の中で最も長い距離を移動できるものです。この切符には半世紀以上の歴史があります。最長片道切符で移動できる距離は1982年に東北新幹線が開業したことで、史上最長の13,400kmになりましたが、ローカル線の廃止などにより現在は11,000km未満になっています。

 私がこの切符の存在を知ったのは、2004年にNHKで放送された「列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜」という番組を見た時でした。

 その後、年月が経ちながらもこの旅行をする機会がなく、憧れは憧れのまま終わるかに思われました。しかし、2022年の春になって「西九州新幹線の開業により最長片道切符のゴールが変わる」ということを知りました。それまで最長片道切符のゴールであった肥前山口駅は新大村駅に変更されるとのいうのです。ですから私にとって、この夏が最後の憧れの肥前山口駅行きの最長片道切符の旅行のチャンスでした。私は迷うことなく、夏の予定をキャンセルして最長片道切符の旅に出ることを決めました。

 さて、時は2022年8月1日。今日から最長片道切符の旅が始まります。最長片道切符のスタートは宗谷本線の稚内駅、日本で一番北にある駅です。稚内は東京から直線で1000km以上離れており、そこまで行くのも大移動となります。今回は日程の都合上、飛行機を乗り継いでの移動になります。

イメージ図。これでも日本の北半分なのでこの国は大きい

 羽田空港と新千歳空港を結ぶ航空便は、日本で一番本数の多い航空路線でJAL、ANAをはじめ様々な航空会社が運航しています。一方で稚内空港に就航しているのは東京・羽田線と札幌・新千歳線のみでどちらの路線もANAが運航しています。私は乗り継ぎの手間を考えANAグループで乗り継ぎの航空券を購入しました。

NH4715(HD15)便 東京国際(羽田)空港(0815発)→新千歳空港(0945着)

 最初に私の搭乗するNH4715便はANAの便として購入したものの実際にはAIR DOの運行する便でした。AIR DOは北海道を拠点とするMCC(Middle Cost Carrier)で、使用機材はB767-300という機種で国内線では一般的な飛行機です。

 乗り継ぎ後の飛行機が小型で手荷物の制限が厳しいため、リュックサックは預けることになりました。頭上のディスプレイによると搭乗口は55番だそうです。55番は第2ターミナルの1番端にある搭乗口で使用される本数自体は多くないようですが、朝のラッシュ時間に突入している羽田空港では暇な搭乗口はありませんからドル箱路線の羽田新千歳線といえど端の搭乗口がアサインされます。

 とはいえ、筆者が以前登場したANA大館能代行きなどANAの一部路線やLCCではボーディングブリッジが使えず、バス移動を行いますから、この便はそれらとは一線を画す存在です。

同じMCCのソラシドエア。こちらは九州方面に強い航空会社です。
羽田空港の端っこから日本の端を目指して出発です

 今回は景色も期待して右舷側の窓側を取りました。B767は2-3-2の座席配列でゆとりがありますが、月曜朝の新千歳行きということもあってこの飛行機はほぼ満席となり、もちろん私の隣にもビジネスマンがやってきました。これからおよそ1時間半の空の旅がはじまります。

 朝の羽田空港は日本全国へ向かう飛行機が一斉に始動するため、保安検査場も滑走路もどこも大渋滞です。実際には飛行時間の方がはるかに長いのに、このように地上で待機している時間の方が長く感じてしまうのはどうしてなのでしょうか。

 ようやく前の飛行機が飛び立ち、私たちの番が回ってきました。飛行機は滑走路の端でひと呼吸おいたのち急加速しすぐに離陸しました。飛行機が安定飛行に移るとドリンクサービスの案内がありました。今回はオニオンスープにしました。北海道産のタマネギを使った自慢のスープだそうで、機内誌でもオススメとして紹介されていました。ただ、気圧のせいなのか味の深みなどがわからずそれは残念でした。

せっかくの窓側が…

  この日は津軽海峡の辺りで前線が停滞しており、北日本はどこも悪天候で飛行機は雲に覆われていました。これでは景色を楽しむのは厳しいでしょう。さらにこの飛行機はWi-Fiがついていません。もしANAならWi-Fiが付いていましたが…
 この日は景色が見えない程度で済んでいましたが、この雲をもたらした前線がのちのち私の行く手を阻むことになります。その話は今後していきます。

 スマホに保存しておいた動画を見ているうちに飛行機は太平洋を飛び越え苫小牧から北海道に侵入しました。明日は苫小牧に宿泊する予定なのでこれから壮大な遠回りが始まります。北海道に来るのははじめてで、眼下を見渡すと本州にはない果てしない農地が広がり、目につく建物は平屋ばかりと大地の広大さに圧倒されました。


 新千歳空港につくとすぐに稚内行きの乗り継ぎの案内がありました。私以外にも何人か乗り継ぎの乗客がいるようです。到着ロビーで名乗り出ると係員に案内され、到着ロビーと出発ロビーを隔てる柵を抜けました。こうして新千歳空港の出発ロビーにやってきました。新千歳空港は巨大なショッピングセンターでもあるのですが、出発ロビーは土産物店ばかりでこれからの旅行に役立ちそうなものはありませんでした。

稚内空港行きの飛行機の背後を通過するのはLCCのPeach、これもANAグループです。

NH4841便 新千歳空港(1025発)→稚内空港(1120着)

 稚内空港行きの飛行機はDHC-8という小型機です。私は今まで羽田発着の幹線ばかり乗っていたので地方路線も小型機もはじめてです。
 もちろん今度も窓側です。DHC-8はターボプロップと呼ばれるジェットエンジンが主流になる前のシステムが使用されており、窓側の座席はいつもより大きなエンジンの唸りと、ジェットエンジンにはないプロペラの回転する音がします。

緑色のパッチワーク

 眼下には河川が暴れまわったことで形成された三日月湖と平野が広がります。本州では治水工事によってその多くが姿を消しましたが、この河川の働きが豊かな土壌を作り出しています。またそんな大自然に抗うように単線のレールが伸びています。これはおそらくこの後乗車することになる宗谷本線のものでしょう。

火山島の利尻島。稚内よりもさらに行くのが大変なところです。

 この日の悪天候は小型機を激しく揺さぶります。あまりの揺れでとうとうCAの方がドリンクサービスをすることすらできませんでした。もらった所で飲めそうにもないので問題はありません。結局一度もベルト着用サインが消えないまま稚内空港に着陸しました。

 私たちは飛行機からタラップを使って地面に降りました。稚内空港は小さな地方空港で、街の中心部である南稚内駅からは少し距離があるようです。ここからはバスに乗り換えて稚内駅を目指します。

街から離れたところに空港があります。宗谷岬はこの地図の遥か右に位置しています。

 稚内の観光名所といえばご存じ宗谷岬です。実は空港から駅へ向かう道路を反対に進むと宗谷岬にたどり着くことができます。しかし、空港から直接宗谷岬へ向かうバスはなく、駅へ向かうバスの途中のバス停で乗り換えることになります。通り道なんですから空港に寄ってもらえると助かるんですがね。なお、この宗谷岬を経由するバスはかつて南稚内と音威子府をオホーツク海側経由で結んだ天北線の代替バスで天北宗谷岬線といいます。残念ながら利用が落ち込んでおり南稚内から音威子府までかつての天北線のルートで進むことは難しくなっているようです。

 さて、私はバスで稚内駅へ向かいます。稚内駅へ向かう空港連絡バスは飛行機のダイヤに合わせて運行されているため、旅客が預け荷物を受け取るのを待ってくれています。稚内空港ももう少しゆっくり見たいところではありますが、本数が少ない空港連絡バスを逃すわけにはいきません。

 空港のターミナルの建物を出たところにバス停があり、東京ではよく見かける銀の車体に赤の帯をまとった車両が待っていました。運行する宗谷バスはもともと東急グループであったようなのでその関係なのでしょう。

宗谷バス 空港ターミナル(1125発)→駅前ターミナル(1155着)

 バスは空港から出ると稚内湾に面した国道を進みます。東京の路線バスと同じ見た目のバスですが、北海道の国道を走っているためかいつもよりずいぶん飛ばしているように錯覚しました。そのバスをもってしても稚内駅は遠く、20分かけてようやく稚内駅の一つ手前、中心地にある南稚内駅に着きました。ここにはチェーン店が集っており繁華街が形成されています。一方でこれから向かう稚内駅は波止場に隣接する駅であるため僅かな距離ですが全く街の性質が異なることになります。

「こおり きらめく ふゆのまち」

 稚内駅前は少し前に整備されたようでひらけていて、駅も道の駅が併設された新しい建物でした。どうやらこの道の駅は日本最北の道の駅のようです。

北防波堤ドーム。このすぐ裏側は海です 

 駅を出て奥に見えるのが北防波堤ドームです。戦前の稚内は日本領南樺太への定期航路・稚泊連絡船が発着する重要な港で、稚内まで列車でやって来た人々はこの防波堤ドームの下を通って波止場へ向かったそうです。しかし1945年8月11日に旧ソ連軍が樺太に侵攻すると、樺太は凄惨な市街戦の舞台となり同24日に稚内へ到着した連絡船を最後に交流は途絶えました。命からがら樺太を脱出した引揚げの人々を見送った後、防波堤ドームはその役目を終え今は静かに余生を送っています。

防波堤ドーム横の階段を上り、今は異国となりしかの地を想う
駅前では首都圏ではまずお目にかかれないハマナスが咲いていました。
稚内市の市の花でもあるそうです。

 駅に戻ると同居する道の駅にカフェがありました。ここで昼食にします。

ブランド牛の宗谷黒牛を使用したハヤシライス

 カフェはガラス張りで明るく、また天井も高くなっておりひと息つくにはちょうどよい感じです。飛行機で体が冷えてしまったため温かいハヤシライスを注文しました。地元の食材をふんだんに使った体に沁みる美味しさでした。

 ひとまず、これから4時間近く列車に乗り続けることになりますから水と食料は確保しておかなければなりません。道の駅には北海道ではおなじみのコンビニ・セイコーマートも入居しており買い物ができました。いよいよ最長片道切符の旅が始まります。

 1日目の後編ではいよいよ最長片道切符の旅がはじまり、まずは網走を目指します。

お知らせ

 次回はこちらからどうぞ

 一連の記事はこちらのマガジンに入れておきますので、参照するときに活用してください。

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