#A 恋って殺伐としたものではないか?

※今日は、深夜に考えすぎている感情的な私(Aくん)(↔朝は理性のBくん)がお送りします。


最近は家に帰ってカーテンを開けると真っ暗になるような季節になった。

太陽が覗いていないワンルームは静寂に包まれ、様々な事について物思いにふけることが多くなってきた。

今日考えていたことは恋のこと。

1年付き合っていた人と離れ、2年たったが今でもその人のことを今でも考えることがある。友達にその話をすると大抵の人は「そんなクソのことなんか忘れて新しい人を見つけよう」だとか、「あんな人のことなんて想っちゃだめ、関係や記憶をすべて捨て去ってしまえ」なんてことを耳にタコができるほど聞いてきた。この間も、忘れなければならない、そんなんじゃ前に進んでいけない、ということは自分でもわかってる。

私をそんな気持ちにさせないといけないくらい、恋ってすごく罪深いものだな、と教訓として今でも残っている。

今日は、その"罪深さ"ってどこにはあるのだろうと考えていた。

結論として、恋って「どれだけ人に傷をつけられるか」という殺伐としたものではないか、と思うようになった。

人を傷つけるみたいな話をするとちょっと誤解を生むかもしれないが、傷を治す薬も恋には存在する。

そう、愛情というものだ。

その傷に対して、愛情というものを与えることで生きていける活力を与えてくれる、これが恋なのかなと思った。

私は、昔から漫画とかゲームとかをやっていたこともあり、かなりロマンチックな恋に憧れていた。だから、恋って結構口どけが良いものだと思っていた。無から人に与える、みたいなイメージだろうか。

私も、その当時は「無」で特に恋愛感情というものもなく、テレビで熱愛報道だとか、不倫だとか、恋にまつわる歌だとかも全く共感も生まれないし、興味もなかった。

ただ、こういう人間に対し恋というものは突然飛んでくる。大学1年の時に、本当に偶然お付き合いをするようになった。

人と人との関わりについて、こんなに深い関わり合いがあるのか、と思った。他者から深く信頼したり、いっぱいお話ししたり、旅行に行ったりすごく楽しい思い出だった。

ただ、それがなくなった今、それは想い出と言うか半ば呪いとして残っている。あの時に食べたピザの味ももうわからないし、目の輝き位眩く見えた夜景も今はくすんで見えるようになった。別れたときはまだよく見えていた鉄塔の赤ランプも、時が経つにつれ色彩を失っていった。


こんな私を見ると、今はあの時、恋を知らなった私よりも生きている心地がしなくなっていたような気がする。特に、夜が長くなり、布団が恋しくなってきた今の季節は突如物理的でない温もりが欲しくなる。その自分を見るB君はきっと「前の君の方が輝いてたよ」なんて言うような気がする。

そう考えると、恋はプラス、ということではなくトータルするとプラマイゼロなのではないか、と最近は良く思う。


昔は孤独さ、というか何も知らないからこその幸せがあった。けど、今は恋の幸せを知ってしまったのでその幸せを失い、その代わりに愛情を欲しがっている、他人から認められたい自己承認欲求が増してきた気がする。

あの人からのプレゼント捨てたほうがいいことはわかっているが、私にとっては初めての人だし、今から考えれば私の知らないことをたくさん教えてくれた、いわば「私」の先生のような人のことを無下にできない。Bくんから考えても、私の生きざまにかなりの影響力を持った人であることは間違いない。そう考えると恋愛感情を抜きにしても相当私にとって「いい人」だったのかな、と思う。

確かに、その正の感情に対して「裏切り」「不信感」という感情も教えてくれたことを考えるとトントンなのかもしれない。けど、その人のことが忘れられなくって今を孤独に生きている。

ドライヤーをかけながら鏡をのぞくとき、今日の私は輝けていたのだろうか、自分に問いかけてるけど、鏡に映る私は正解なんて教えてくれない。


私は、その人によってかなり傷をつけられてしまったようだ。しかし、私はこれが恋だったのだ、それほど恋していた/されていたのだなと考えている。想い出が深ければ深いほど、その価値というのは上がっていくことはたぶん否定する人が少ないと思う。恋は、想い出の数だけ強くなれる。いろんなものをプレゼントされると、うれしいしふわふわな気持ちに包まれる。

けど、別れれば別だ。あいにく、今は技術が進歩しており、過激な例でいえば、変に記録媒体に残そうとするとデジタルポルノで問題になったり、LINEのトーク履歴を晒されては自分の知らないところでぼっこぼこにされているのかもしれない。「デジタルタトゥー」という言葉があるようにネットで少しやらかすと一生の傷になるのだ。これは、恋にも当てはまると思う。あの人のLINEというのは、たとえ消したとしてもネットの海に漂流しただけで完全に消えることはない。想い出をすべて消そうと思ってもSNSでしゃべったあのことは文面なんか覚えているわけないのだから消えない。

なんか、そう考えると恋ってすごく難しい時代になったのだなぁと思う。

けど、一度味わうとやめられない。一生消えない傷を負ってしまったのだから。この傷を埋めてくれる人がいるのだろうか。それとも一生痛みを背負いながら生きていかないといけないのか。私にはよくわからない。


まぁこんなことを考えずに、今日もお風呂にゆっくり使って寝ようか。

おやすみなさい。