とある少女の話

私には「恋」が分からない。

それを自覚したのがいつかとか世間はそれをAromanticと呼ぶだとかそういうことは今はどうでもいい。

ただ1つ確かに言えることは 恋のことは分からない。けれど「愛」のことはよく知っている、ということだ。

私は 恋を知りたいと思う。恋ができる人のことを少しだけ羨ましく思う。けれどきっと私は誰よりも愛を知っているから。だからいいのだ。受け取った愛がここにある限りは。


そう思い込んでるの。思い込んでも思い込んでも地面は 軸は ぐらぐらする。だって私は誰の一番にもなれないから。だってそうでしょう あの子には彼女がいて あの人には彼氏がいる。あくまで「友人」枠の私は生涯のパートナーにはなれっこないの。 私はこんなにも愛しているのに。あいしているのに1番になれないの。

私の言う愛は親愛であり敬愛であり友愛だ。恋はしていない。ただそれだけたった一つの違いで天と地ほどの差ができる。 あなたのそれは好きじゃないんだよそう言われたこともある。

けれどそれでも言う。
私のすきはちゃんと好きだよって。
私は確かにあなた達のことを愛してるんだって。

大切で大好きな人達の1番になれないのなら せめて記憶に残るために 愛を伝えてやる。そう思ったから私はここにいる。恋じゃなくたって人を愛する手段はいくらだってあるのだから。

もしも恋が分からない人がこれを読んだのなら伝えたい。あなたは独りじゃない。欠陥品でもない。あなたはだれよりも愛を知る人間なんだよと。私がそうであるように。

前置きが長くなりました。
改めて はじめまして。
私に恋は分かりません けれども愛については人一倍考えてきました。

さくらぎと申します。
どうぞご贔屓に。

まじめなはなし!⬇️

昨今の風潮として、LGBT運動の活発化、それに伴う「誰かを好きになること=素晴らしいこと」という風潮が何となく目立つように感じつつあります。そんな中、大抵LGBTQ+のなかのQ+の中に含まれる私たちアセクシャル(Aromantic/Asexual)は恋愛感情や性的感情を他人に対して抱きません。ちなみに中には性嫌悪と言って、性的な事柄に対して嫌悪感を抱いたりもします。
性自認の違和や異性間の恋愛に関してはかなり周知されてきたように思いますが、アセクシャルに関してはまだまだなのでは無いでしょうか。私たちを説明する時に、こんな記述を見かけたことがあります。「恋愛が出来ない」セクシュアリティであると。これは正しいけれど正しくないのです。世間は恋愛だけを愛だと言います。人を愛することは素晴らしいことだと説きます。

そんな世の中だからこそ、どうか1人でも多くの人に伝わって欲しい。

恋が出来なくとも人を愛することはできるのだと。こんな人間もいるのだと。

最後までご覧頂きありがとうございました。
あなたの一日に小さな幸せが訪れますように。

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