わたしの「なりたい」

私は何になりたいんだろう。
常にそう考えて生きてきた気がするくらいには私にとって身近な問いです。この問いの答えを常に抱えて生きてきました。

ある時は、心理カウンセラーになりたかった。不登校の子たちや虐められた子達のことを救いたくて 自分のように苦しむ人を救いたくて。

ある時は国際協力の道に進みたかった。
世界を少しでも平和に近づけたくて。武力ではなく言葉で解決する社会に近づけたくて。この世で1番困っている人を助けたくて。だから私は今通っている大学を選びました。今でもこの思いは変わりません。

ある時は弁護士になりたかった。と言ってもこれは今の目標でもあります。いつか法律という武器を使って救いたい人が居るから。私は絶対に弁護士になる。

私は人を助けたいと思っていました。否今もそう思っています。きっと道端で苦しんでる人がいたら何も考えずに駆け寄ってしまうし自分がどれだけしんどくても目の前にお年を召した方が立ったら席を譲ってしまう。道を聞かれたらとことん答えるし自分に出来ることはとにかく全力でする私はそんな人間です。

そんな人間でありたいと心の底から思っています。

そんな私ですが2023年の4月から9月まで休学をしていました。そしてその中で色んなことを考えました考えて考えてふと気づきました。 私は今まで人を助けるべきだと思って生きてきたのではないかと。もしかしたらやりたいではなく「やるべき」だと思ってたのではないかと。これぞ使命感。嗚呼 なんて素敵な言葉でしょうか。1度そう思ったら私の思考回路は電流が流れっぱなしです。自分が何をしたいのか分からないという状態を許せないのです。無意味に生きるのが 価値がないように感じて堪らなく怖いのです。否 何をしたいのか分からなくてもいいじゃないかと思えない時点で私はきっと健全ではないのでしょう。健全じゃなくて何が悪い?わるいにきまっているんです。だってみんながそう言うから!ただそれだけです。死んじゃダメと言われたから生きているし困ってる人には優しくしなさいと言われたからそうするのです。友人のことを助けたいと思ったから弁護士になりたいと思うのです。いつでも私の軸は自分にあるように見えて他人にあったのです。その事に私は20歳になる直前に気づきました。そして今日初めて言葉にしています。

20歳になっても どんな本を読んでも 誰に聞いても 私の「やりたい」が何か分からないのです。

音楽は好きです。けど才能も職にするほどの情熱もありません。中学生の時から知っていることです。

本が好きです。物語が好きです。こうやって文字を書くことも好きです。けれど私は知っています。これで食って行けるのはひと握りの恵まれた人達なことを。知っているのです。

ああけれどもしも許されるのならば私は物語を紡ぐことで生きていきたい。

望むことはタダです。私には考えることのできる頭があって幸い手も動きます。だから私は今から私の物語を紡ぎます。

この先未来を生きていれば「やりたい」が変わる日が来るかもしれない。そして私はきっと小さな自分のような子を救うことも弁護士になることも紛争をなくすことも全部諦めきれない。そんな私だからこそ出来ることが、紡げる物語があるのではないか。一瞬でもそう思ってしまったから。

だから私はAmazonで安いキーボードを買いました。

私はWordの中にひたすらに言葉を打ち込みます。それがいつか物語となると信じて。

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