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ライフタイム

ネットで卑屈的な言葉を吐いている人は、
自分が苦しい思いをしていることを
他人に無差別に転嫁することで
心の均衡を錯覚させている。

自分を正当化する人は、自分の信念や行動と
矛盾する情報に直面したときに感じる不快感を
避けるために自尊心を保たせている。

結局、自分自身を傷つけられるのは
他人ではなく自分だけ。
不安になるのも、自分を正当化するのも、
他人に向けるヘイト、理想、願望も、嘘も、
すべては自分を傷つけないための自己防衛。

かくいう僕も、この類であった。


人は失うことのないものを好きな傾向がある。
商品やプランに付いてくる永久保証、
一度受かってしまえば一生使える資格など。

屁理屈かもしれないけど、
死ぬという避けられないものがある限り、
失うこともまた避けられない。
仕事も、人も、誇りも、ことばも、
永久保証なんてものはついてこない。

そして人はどの物事に対しても
判断を下したがる。
「あの人問題起こしたらしいよ」という噂話
「あいつは怒らせたら怖い」という偏見
「僕なんてなにしてもダメだ」という卑屈、など。

しかしそれらはすべて現実では起こっておらず、
頭の中で現実を拡張する空想によって、
その人や自分を判断している(決め付ける)。

この空想というのが自己防衛であり、
判断というのは承認欲のひとつである。

空想が、自分を良くない方向に
導いていることに最近気づいた。

だから現実を拡張しない練習を、
しばらくしている。

「失敗してしまった今日の自分を認める」
「これはいつかは失うものだと受け入れる」
「現実のあるものだけを"ある"と捉え、
頭の中にある"ない"ものを追わない」

こういった自己暗示を取り組み続けてからは、
メンタルの波が多少落ち着いてきた。

そのうえで僕は、
失うものと悟って静観するより、
失うものと分かっていてもあがき続ける、
往生際の悪い人間でありたい。

頭の中で現実を拡張するんじゃなくて、
今この瞬間の現実と向き合って、
地に足をつけたい。

今書いているサイトのnoteだって、
熱中しているゲームだって、
運営しているコミュニティだって、
いつかは終わりが来る。

だけどあがいていたら、延命できる。


この世に永遠保証がないとしても、
ひたすらあがいて、
せめてじぶんが生きている限りの
生涯保証を貫いていたい。

ことばも、行動も、誠意も、信念も。

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