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ポカリスエットの味/フィンランド一年目を終えて

フィンランドの海水をなめたとき、薄い塩味の中にかすかな甘みを感じた。日本のポカリスエットを思い出した。

光あふれる夏が来て、子どもとビーチで遊ぶ日が多い。4歳の娘は冷たい海水にも物おじせず入る。3歳になったばかりの息子は、水面の白鳥を眺めたり、大きな岩によじ登るのが好きだ。

僕たち家族がフィンランドに移住して一年が経った。この一年は想定した通り、いや想定した以上にトラブルに次ぐトラブル、緊急事態に次ぐ緊急事態の連続だった。ふと思い返すだけでも、

  • 毎日にように届くフィンランド語の請求書をGoogleレンズで読みながら、出費に耐えたこと。

  • 銀行口座の残高が200€(3万円ちょっと)を切ったのに、アプリの不具合で日本からの送金ができなかったこと。

  • オンライン注文した照明が届かず、4回電話して1ヶ月待った上に色が間違えていたこと。

  • 保育園から指示されるまま、子供の防寒着、手袋や靴を3種類ずつ買い、直後にそれらを紛失したこと。

  • マイナス15℃の吹雪の中でベビーカーを押して保育園に行ったこと。妻のまつ毛は完全に凍っていた。

  • 寒さで電気代が暴騰し、通常の25倍も高くなった日の夜をロウソクで凌いだこと。

  • 息子の誕生日が夏至祭と重なり、すべてのお店が閉まっていて、3時間も街をさまよったこと。結局ピザチェーンのポテトでお祝いをした。

  • そして不明点が出るたびに各所に電話確認したこと。保健局、郵便局、不動産会社、病院や大使館、警察署まで…。

などなど。これらを常に、同時多発的に経験してきた。

一般的に日本人は不測の事態にストレスを感じやすく、不確実性を避ける傾向にある。それは自分でも認める。ただ、転職と移住を同時に行った時点で、自ら不確実性の海に飛び込んでいるに等しい。

上のリストを見ても、他人や国のせいで起こったことは(ほぼ)なかったことに気づく。すべては自分たちの意志で、異国に移り住んだがゆえの通過儀礼なのだろう。

何はともあれ、一年が経った。人生で一番大変だった日々の思い出と、輝ける瞬間の数々が幾層にも重なり、ブレンドされている。

輝ける瞬間!それは実際、たくさんある。

どこでも飲める冷えた水道水と、ヘルシンキの世界一クリーンな空気。

真冬のサウナの後のフィンランドビールは身体中に沁みるほど美味しかった。

凍った海でアイススイミングをした日の夜は大人になってから一番眠れた。

育児フレンドリーな環境にどれだけ助けれらたことか。飲食店には必ずハイチェアがあり、ベビーカーを押していたら交通機関が無料で、公園には魅力的な遊具と共用のおもちゃが豊富に置かれている。

久しぶりに手袋をせずに春の陽光の下を歩いた日の開放感。

森が黄金の絨毯のように見えたつかの間の秋。

白樺の葉がさらさらと風に揺れる音を聴きながら、海面でまばゆく散る光を眺める夏。

パデルやアイススケート、柔術など新しいスポーツにも色々挑戦した。

国も業種もアウトサイダーだった自分を受け入れ、頼りない自分の仕事を支えてくれた同僚たち(仕事については思うところがありすぎるので、また別の機会に)。

いつでも家族ぐるみで付き合ってくれるフィンランド人や日本人の友人たち。特にKさん家のお手製シナモンロールは最高だった!

7,000kmを越え、家族を連れた移住が一筋縄で行くはずもない。ただ不確実と不安定と混沌の中にも、輝ける思い出たちは日々積み重なっていく。

冷たく、しょっぱく、それでいて甘く爽やか。フィンランド移住の一年目は、ポカリスエットのようだった。



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