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【つの版】ユダヤの謎01・摩西出奔

ドーモ、三宅つのです。徐福伝説、大秦への旅を経て、秦氏やら日ユ同祖論やらのユダヤ問題が立ちはだかって来ました。ちょうど『悪魔くん』の新作アニメ化発表とか『シン・エヴァンゲリオン』の公開とかもありましたし、ここらでユダヤの謎に迫りたいと思います。

ユダヤとは何か? それは現在のイスラエル、あるいはパレスチナに位置した古代王国であり、エルサレム付近の地名です。ユダヤ人は世界中に散らばる謎めいた民族であり、一神教であるユダヤ教を信仰しています。近代では信仰していない人でも親や先祖がユダヤ人・ユダヤ教徒なら血統的にユダヤ人だとされたりもしますが、その内実は極めて多様です。

またユダヤ教からは、同じ神からの啓示を受けたと称するキリスト教イスラム教が派生し、良くも悪くも世界の歴史を大きく動かす原動力となりました。日本人にはキリスト教徒は少なく、ユダヤ教徒やイスラム教徒もあまりいませんが、それらに基づく西洋文明・イスラム文明は日本の歴史にも大きな影響を与えていますし、聖書は非キリスト教徒にも割と知られ、様々な文化や創作物、陰謀論の基礎となっています。改めてそうした歴史の流れを見て、何事かを考えるのも一興でしょう。扱う範囲が広すぎると手におえませんので、かいつまんでざっくりやります。詳しくはお調べください。

あくまで「ドシロウトが推測した」だけですので、完全な断定はしません。違っていても一切責任は持てません。あなたが古典的なユダヤ陰謀論日ユ同祖論ユダヤ人宇宙人説爬虫人類説終末論千年王国説を熱狂的に信仰していても押し付けることはしません。宗教やオカルティズムや陰謀論の布教もしません。コメントに反論を綴ったりDMを送りつけたりしないで下さい。つのはこれをここに置いておくだけです。あなたの頭で考えて下さい。あなたの家族や知人と論争して疎遠になっても、つのは知りません。

覚悟はいいですか? では、ひとつひとつ噛み砕いて行きましょう。

◆福音◆

◆戦士◆

希伯来人

「ユダヤ人の先祖は古代イスラエルに住み、ヘブライ語を話していた」と言いますが、どれが民族の呼称なのでしょうか。イスラエル人だとかヘブライ人、ヘブル人といった呼び名もありますね。この中で最も古いとされるのがヘブル人(ヘブライ語:Ibrim、ギリシア語:Hebraioi、英語:Hebrews)です。ヘブライ語イブリム(単数形イブリー)は「渡る」「横断する」という意味を持ち、各地を渡り歩く放浪者、遊牧民のたぐいであったとも言われます。ヘブル人は古くから流浪の民だったのでしょうか。

紀元前18世紀頃から、メソポタミア・シリア・エジプトなどの文書には「ハビル(Habiru)」「アピル(Apiru)」という集団が現れます。彼らはセム系やフルリ系などが雑多に混淆した山賊・野盗(シャス)のたぐいで、しばしば傭兵として雇われました。彼らをヘブル人の祖先とする説があります。

これに対して、シリア北部の非常に古い都市国家エブラ(Ebla)を起源とするという説もあります。シュメル・アッカド文明を移入して多数の粘土板文書を残しており、中には旧約聖書に見える地名や人名もあるといいますが、この国が崩壊して遺民がハビルになったのでしょうか。

族長三代

旧約聖書『創世記』によれば、イスラエル民族の遠い先祖はノアの長男セムで、その曾孫はエベル、その子はペレグ(分かれる)でした。彼の時代に、バベルの塔に集まった人類は言語を乱されて全地に分かれたといいます。ペレグの五世孫がアブラハムです。彼はもとの名をアブラム(父-高い、高祖)といい、のちアブラハム(父-多くの)と改名したといいます。高祖・太祖としての称号でしょうか。

彼は「カルデアのウル」に住んでいましたが、妻や一族を率いてその地を立ち去り、西のカナアン(パレスチナ、レバノン、シリア)へ赴こうとして北上し、ハッラーンに移住します。75歳の時、全能神エル・シャダイの命令を受けてユーフラテス川を渡り、サマリア地方のシケム(ナブルス)に到達して祭壇を築きました。さらに南下してベテルに至り、ネゲブ沙漠を経てエジプトに行ったり戻ったりしたあと、エルサレムの南で死海の西にあるヘブロンに定着しました。彼はこの地で女奴隷ハガルにイシュマエルを産ませ、100歳の時に妻サラとの間にイサクを儲けました。

ハガルとサラは仲が悪く、アブラハムはハガルとイシュマエルを南の荒野へ追放しました。イシュマエルはこの地で子孫を増やし、アラブ(アラビア人)の先祖になったといいます。このためイスラム教でもアブラハム(イブラーヒーム)を先祖として崇敬し、イシュマエル(イスマーイール)を彼の嫡子として尊敬しています。残ったイサクは父の弟ナホルの孫娘リベカを娶り、エサウとヤコブという双子を儲けました。

このうちエサウエドム人の祖となり、ヤコブは天使と格闘してイスラエル(神と戦う)という異名を授かり、イスラエル人の祖となりました。彼の子らがイスラエル十二支族(部族)及び祭司氏族レビ人の祖とされています。やがて彼らは大飢饉に遭い、一族を率いてエジプトに移住し、ヤコブの子でエジプトの宰相となったヨセフに迎えられて繁栄したと伝えられます。

この間にはソドムとゴモラが焼かれたり、イサクが父親に神への生贄にされかけたり、ヨセフがオオナムチめいて兄たちに迫害されたり様々な物語がありますが、有名なので省略します。彼らはアブラハム以来「ヘブル人」と呼ばれます。彼らの時代にはまだ律法(トーラー)がなく、神は直接出現したり天使を遣わしたり、啓示を下したりしていたとされます。

また神はアブラハムに「お前の子孫にはこの土地を与えよう」と約束したので、カナアンを「約束の地」と呼びます。その範囲はせいぜいユーフラテス川から「エジプトの川(ナイル?)」までで、シリアやレバノンも含まれますが、世界を征服しろとは言われていません。

アブラハムは神との契約(brit)のしるしとして、一族と子孫に割礼(brit)を行うよう命じられました。男性の陰茎の皮を切除する風習で、エジプトやエチオピアなどでも(ユダヤ教とは無関係に)行われていましたが、ユダヤ人の先祖はこれに具体的な意味を与えたのです。当然激痛を伴うため、この風習を持たない他の民族からは忌み嫌われ、キリスト教では(イエスは割礼していましたが)伝道の便宜をはかるため「入信は信仰告白と洗礼だけでいい、肉体的割礼は不要だ」としました。イスラム教では強制ではありませんが、アブラハムがしたことだからと慣例として定着しています。日ユ同祖論を唱える人は、この割礼の風習が日本人に皆無であることを「キリスト教徒だからしていない」と説明しているようです。

埃及帝国

さて、エジプトに移住したヤコブの子孫たちは下エジプト(北部、ナイル下流部の三角洲)東部のゴシェン地方を中心に増え広がりました。当初は宰相ヨセフの一族として歓迎したエジプト人も、数百年が経つうちに彼らへのリスペクトをなくし、蛮族として蔑み始め、奴隷として酷使しました。

ヘレニズム時代、プトレマイオス朝に仕えたマネトの『エジプト誌』によると、エジプトの第15王朝は東方から襲来したヒクソスという異民族によって立てられたといいます。ヒクソスは「異国の君主」ないし「捕虜の羊飼い」という意味とされ(漢人も戎狄を「虜」といいます)、デルタ東部のアヴァリスに都を置き、沙漠の神セトを崇めたといいます。

実際に紀元前17世紀頃、シリア・カナアン系の文化がエジプトに多く現れ、バアルやアナト、アシュタルトらカナアンの神々が崇められていますし、遺された王名表にはヤコブ・ヘルヤコブ・アアムという名の王が存在したと記されています。武力で征服したというより、傭兵として入り込んできた連中が自立したという感じですが。第15・第16王朝と続いたこの勢力は、上エジプト(南部、ナイル上流)のテーベに割拠した土着勢力である第17王朝と争い、前1570年頃にはテーベの王イアフメスに駆逐されました。

上下エジプトを統一し第18王朝を開いたイアフメスは、余勢を駆ってカナアンまで遠征し、ヒクソスの王女を娶ってカナアンを領有します。また南はヌビアまで勢力を広げ、「新王国」と後世に呼ばれる古代エジプトの最盛期をもたらしました。彼らは現人神として帝国に君臨し、北のヒッタイト王国や東のミタンニ王国と交流し、絢爛たる大文明を築きました。有名なハトシェプスト女王トトメス3世アクエンアテンツタンカーメンも第18王朝の王(ファラオ)です。

『出エジプト記』冒頭に書かれるのは、このような時のヘブル人の姿です。彼らはヒクソスと一緒に東方から来た雑多な傭兵(ハビル)の寄せ集めで、ヒクソスが追放された後もエジプトに居残り、奴隷として酷使されていたのです。ヘブル人は豊かなエジプトに依存し、完全に奴隷根性が染み付いており、故郷や部族的紐帯さえなく、どこへ行くあてもありませんでした。

マネトらによればヒクソスが追放された時に「出エジプト」があったとしますが、旧約聖書を読む限りでは、この時のファラオは「ラメセスという都市をヘブル人に築かせ、長らく在位して死んだ」とあり、どう見ても第19王朝の大王ラムセス2世(在位:前1279-前1212)です。彼の祖父は第19王朝の開祖ラムセス1世ですが、在位2年で崩御しています。

摩西出奔

『出エジプト記』によれば、彼はヘブル人が増え過ぎたのを憂い、「ヘブル人に男子が生まれたら殺せ、ナイル川に投げ入れろ」と無茶な命令を下しました。この時ヤコブの子レビの子孫アムラムに男子が生まれたので、母は殺すに忍びず、パピルスで籠を編んで赤子を入れ、誰かが拾ってくれることを願ってナイル川に流しました。するとタイミングよく(狙って流したのでしょうか)ファラオの娘が彼を拾い上げ、なぜかヘブライ語でモーセ(引き上げられた者)と名付けました。トトメスとかラムセスのメス・ムセスと同じく「子」を意味するともいいます。ダブルミーニングでしょう。

モーセは姉ミリアムの手引きで、実の母を「乳母」として大事に育てられることとなり、ファラオの娘の養子となりました。成人したモーセは自分の出自を知り、奴隷扱いを受けているヘブル人を同胞として憐れみました。

ある時、エジプト人がヘブル人を酷使して鞭打っているのを見たモーセは、義侠心に駆られてエジプト人を殴り殺し、密かに砂の中に死体を隠しました。翌日、今度はヘブル人同士が争っていたのを見て仲裁に入ったところ、「お前はおれたちの裁判官気取りか?あのエジプト人のように、今度はおれも殺す気か?」と言われます。モーセは「あいつがバラすとは」とショックを受け、殺人罪で逮捕されそうになりますが、追っ手を逃れて東方の荒野へ逃れました。水滸伝にでも出てきそうな無法者(アウトロー)ぶりです。

シナイ半島を通り過ぎ、エジプトの国境外に出たモーセは、現サウジアラビア北西部のタブーク州、遊牧民ミデヤン人の地に赴きます。彼が井戸の傍らにいたところ、娘たちが水を汲んで家畜に水を飲ませようとしましたが、荒くれ者の羊飼いたちが後から来て娘たちを追い払ってしまいました。またも義侠心に駆られたモーセは、立ち上がって羊飼いたちをカラテで追い払い、娘たちを助けて家畜に水を飲ませてやりました。完全に真の男です。

彼が助けた娘たちの父は、ミデヤン人の族長で祭司のリウエル(神の友、別名はエテロ)でした。モーセは彼に感謝され、行くあてがないというので娘のひとりチッポラ(小鳥)を嫁にもらい、ミデヤン人の地に混じって暮らすことになりました。彼女は男子を産み、モーセは彼をゲルショム(寄留者)と名付けました。エジプトからはファラオが崩御して代替わりしたという話も聞こえてきます。このままモーセは荒野の羊飼いとしてベイブと平和に暮らし、子孫に囲まれてTHE END OF MEXICO…するのでしょうか。

◆墨◆

◆西◆

【続く】

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