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【ライズ・アップ・ザ・ファット・ラット】

チィチィ……チィチィ……! 太ったドブネズミが数匹、男の足元を駆け回る。彼の足取りを急かすように。腐敗した汚泥が靴底に粘りつく。

暗く深い闇の奥底。無数の裂け目やパイプから、色とりどりの汚水が蒸気とともに噴き出す。生暖かい汚濁排水が注ぎ落ちて集まり、川となる。蒸気が立ち昇り、腐敗臭とケミカル刺激臭とを漂わせる。空は強化コンクリートで塞がれ、陰鬱な汚染スモッグからは時々酸性雨が降り注ぐ。

ここは地の底、アンダーガイオン。キョート共和国の首都、世にも名高きガイオンの、腐ったはらわた。その中でも相当な下層に位置する。地上からここまで来た者は、もはや生きて地上に戻る希望はほとんどない。彼らはここでまぐわい、子を産み、育て、蛆虫のように生まれては死んでいくのだ。

……そうした汚水の川のほとりを、とぼとぼと浮浪者が歩いていく。身には汚い襤褸布をローブめいて纏っている。両腕は垂れ下がり、長い爪は地面につきそうだ。その傍らの地面を、チョロチョロと数匹のドブネズミが駆け回っている。「チィチィ」「チィチィ」「うるせえな……わかってるって」

男はブツブツと呟き、足取りを早める。「イヤーッ!」浮浪者の男はドブネズミたちに急き立てられ、猛烈な勢いで走り出した。まるで茶色い風のように。その脚力は常人の三倍ほどもあろうか。……そう、彼は常人ではない。古の半神的存在のソウルに憑依された超人、ニンジャなのだ!

彼の名はシーワーラット(下水のネズミ)。この名を聞いただけで、察しの良い読者の皆さんはお気づきだろう。下水からしばしば出現し、アッパーガイオンの婦女子を連続カラテ拉致監禁した、所謂「ドブネズミ殺人事件」の犯人である。彼はその時ニンジャではなく、逮捕収監され死刑囚となった。

だが……ブッダは彼を見捨てなかった。牢獄の中でニンジャとなった彼は脱獄を果たし、生まれ故郷であるアンダーガイオンの下水道へと舞い戻った。そして気ままに人を殺し、婦女子を誘拐して犯し、飼育し、殺しては愉しんでいたのだ。そんな彼のもとに先程、ドブネズミたちが近寄ってきた。

彼は直感的に、これがニンジャの遣わした使い魔(ファミリア)であるとわかった。同類がいるのだ。それもおそらく、自分より強大な。それが彼を喚んでいるのだ!……闇の中を駆け抜けるシーワーラットを、行く先々でドブネズミが導く。彼の鋭敏なニンジャ感覚はそれを見出していく。

複雑怪奇に入り組んだ迷宮じみた階層を抜けると、ぽかっと空間が開けた。地面には無数のドブネズミが灰色の絨毯めいて群れ集い、その中心には不吉なシルエットが蹲っていた。シーワーラットは、それが放つ恐るべきニンジャ存在感に固唾を飲む。それはゆらりと立ち上がり、こちらを見た。

長身だが背が折れ曲がり、黒い襤褸布を纏っている。どうやら女性らしく、黒髪は美しく胸は豊満だ。肌は鉛色で、一部は崩れている。彼女はオジギをし、狂った声で笑いながらアイサツした。

「アッヒヒヒヒヒヒ! ドーモ、ブラックウィッチです!」

「ど、ドーモ、ブラックウィッチ=サン。シーワーラットです」

シーワーラットは震えつつアイサツを返した。少なくとも自分よりは強い。彼は生来卑屈で臆病な性格であり、ニンジャと戦ったことはなく、常に非ニンジャの弱者だけ狙って来た。自分に備わったドク・ジツの使い方も威力も充分に知っている。総合的に決して弱くはないが……彼女は、別格だ。

「な、なんの御用でしょうか?」ぺたりと跪き、両手をあげる。勝てる相手ではない。向こうにも敵意はないようだ。ブラックウィッチはその様子を見て、狂った声で嘲笑う。「アッヒヒ!アッヒヒヒ!用事ってほどのこともないがねェ……声がしたのさ。お前は召されている!地上へお行き!」

「地上へ?」シーワーラットはきょとんとした。「だ、誰が召しているって仰るんで?」自分を召したのは、彼女ではないのか?「ヒィーヒヒ!スゴイ悪党さ!この上にいる!ついておいき!」ブラックウィッチが上を指差す。わけがわからない。「あ、あなたは召されていないんで?」

「アタシはここを離れない。自分の王国があるからね。でも、お前は地上へ行くべきさ。マッポーカリプスが近いからね!」ブラックウィッチは狂っていた。シーワーラットより遥かに狂人だ。だが、逆らえば何をされるかわからない。自分の王国というなら、自分にもちゃんとあるというのに。

「……ハイ」渋々と彼は頷き、その場を退出した。ぞろぞろとドブネズミたちがついてくる。行く先々に点々とドブネズミが並び、上へと導く。

……妙な、違和感がある。頭の中を探られているような……。

……ガイオン……ショージャノ……カネノコエ……

……やがてシーワーラットは下水道を這い進み、重いマンホールの蓋をニンジャ筋力で持ち上げ、深夜のアッパーガイオンへ姿を現した。……はずだった。「……あれ?」様子がおかしい。この道は、こんな場所には繋がっていなかったはずだ。月明かりに照らされた、一面の枯れ草の野原になど。

マンホールの蓋を下ろし、夜空を見上げる。月は雲に覆われているのに、あたりは明るい。奇妙だ。闇に目が慣れているからといって、こんなにも明るいものだろうか。再び地面を見ると、マンホールの蓋が消えていた。「……え?」おかしい。クンクンと嗅いで探すが、見当たらない。その時!

「GRRRRRR……!」パチ、パチッパチッ……!

背後から獣の唸り声と異様な気配。異音と異臭。シーワーラットは振り向いて、それを見た。巨大なワイルド・ボア、イノシシだ。全身は溶岩のようで超自然の炎に包まれており、その炎は周囲の枯れ草に燃え移り始めている。それがこちらを睨みつけ、蹄で土を掻いているのだ。「……エッ?」

シーワーラットはなにもかもわからない。ただ、逃げねば。あれに突進されて衝突すれば、ニンジャでも死ぬだろう!「ゴアオオオオン!」溶岩イノシシは激しく咆哮し、シーワーラットめがけて突撃!「い、イヤーッ!」シーワーラットは常人の三倍の脚力でジャンプ回避!タツジン!

だが溶岩イノシシが放つ超自然の炎は次々と枯れ草に燃え移る!自慢の毒手や猛毒のクナイ・ダート投擲も、あの溶岩イノシシに通用するとは思えぬ!逃げねば!だが、どこへ!?「ち、チクショウ!なにがどうなってやがる?イヤーッ!」シーワーラットは色付きの風と化して草原を駆ける!

だが、見よ!行く手を遮るように新手の溶岩イノシシが出現!周囲は火炎に包まれ、もはや逃げ場なし!「ゴアオオオオン!」「ゴアオオオオン!」溶岩イノシシたちが一斉に突撃!「アイエエエ!」シーワーラットは溶岩イノシシを次々に飛び越え、炎の壁を飛び越えて、走る!走る!

KRASH!「ぐえッ!?」ナムサン!シーワーラットは突然、目に見えぬ壁に激突した!「な!?なんだこりゃあ!?出せ、出せーッ!」拳や蹴りを叩き込むがびくともしない!背後からは溶岩イノシシと炎が迫る!もはや逃げ場なし!「クソッタレ!なんだ、これは!?ジゴクか!?ナンデ!?」

ゴアオオオン!」「ゴアオオオン!」溶岩イノシシの群れが一斉に突撃!

ショッギョ・ムッジョノ……ヒビキアリ……

パニック状態に陥るシーワーラット!絶体絶命だ!……否!「イイイィ……!イヤーッ!」彼は少し離れて力強く跳躍し、見えない壁を蹴った!そして!「イイイイヤァアアアーーーーッ!」KRAAASH!ゴウランガ!全身全霊を込めた螺旋回転キックを放つ!狙うのは……溶岩イノシシではなく!地面!

ボゴン!地面に大穴が空き、地中へ緊急退避!彼の鋭敏なニンジャ感覚は、草原に土の脆い部分があることを探知していたのだ!これぞ平安時代のニンジャに伝わる暗黒カラテ、ドトン・ジツ!彼に憑依したニンジャソウルはネズミ・ニンジャクランではないが、窮すれば同じ道へ通じる!

オゴレルモノ……ヒサシカラズ……

「ウワーッ!」そのままシーワーラットは地中の空洞へ!否……ここは!?

「バカな……行き止まりとは……!」シーワーラットが足を踏み入れたのは、タタミ敷きの四角い小部屋であった。それはシュギ・ジキと呼ばれるパターンで、十二枚のタタミから構成されている。四方は壁であり、それぞれにはフジサン、イーグル、ナスビ、トリイの見事な墨絵が描かれていた。

「……わけがわからねえ」シーワーラットは吐き気と頭痛をこらえた。これはたぶん悪い夢だ。目の前にちらつく01ノイズを振り払うと、トリイの墨絵の前にドブネズミがいて、チィチィと鳴いているではないか。「……ここへ来い、ってのかよ」彼は意を決し、トリイの墨絵へと歩み寄る……。

ヒトエカゼ……チリオナジ……

……気がつくと、彼はアンダーガイオンの闇の中に戻っていた。なにかの幻覚か、ヴィジョンか。ドブネズミはもういない。わけがわからないが、無事に戻ってこれたのだ。先へ進むとしよう。頭がすっきりし、においがする。

やがて彼は、二つの強大なニンジャ存在感を察知した。ブラックウィッチと並び立つほどの。「おッ、近づいて来たぜ!へへへ!探す手間が省けたなァ!めんどくさくなくていい」酷く下卑た声がする。自分と同類。否、もっと悪い。心が踊り、身が軽い。そうだ、自分は彼に召されているのだ!

暗闇の中に、痩せたニンジャと、もうひとりのニンジャがいるのが見えた。仲間だ。味方だ。ついにふわりと彼らの前に降り立ち、アイサツする。「ドーモ、シーワーラットです」拘束具じみた装束の痩せたニンジャは、引きずっていた頭陀袋から……否、女の死体から手を離し、アイサツを返す。

「へヘヘへへへ、ドーモ、シーワーラット=サン。デスドレインです!」

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“ダイコク・ニンジャが敵の卑劣な罠にかかり炎に囲まれた時、ネズミ・ニンジャが現れて謎めいたインストラクションを授けた。ダイコク・ニンジャは即座に大地を踏み割って土中に隠れ、炎をやり過ごすと、敵の足元から出現して土中に引きずり込み、これを倒した。”
 - エンシェント・レコード:古事記暗号の諸相より

【ライズ・アップ・ザ・ファット・ラット】終わり

これは、ブラッドレー・ボンド&フィリップ・N・モーゼズ著、本兌有&杉ライカ訳の大人気小説『ニンジャスレイヤー』の二次創作小説です。公式とは一切関係がありません。
◆ニンジャスレイヤーTwitter◆https://twitter.com/NJSLYR
◆ダイハードテイルズ公式サイト◆https://diehardtales.com/

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