【つの版】倭の五王への道・インデックス
ドーモ、三宅つのです。新たにインデックスを作りました。魏志倭人伝も終わりましたので、ここからは3世紀後半から5世紀末にかけて、ヤマト王権(倭王)がどのように勢力を広げ、再びチャイナへ使節を派遣するようになったかを見ていきます。
ヘッダー画像はWikipediaからです。
つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。つのも参考文献一覧を作りました。
◆古墳前期
01.前期古墳01:九州
九州には豊国(豊前)を新たな拠点として、宗像や日向へヤマト・吉備連合の勢力が伸びていきます。
02.前期古墳02:中四国
日本海側の大勢力である出雲に対し、ヤマト・吉備が分断作戦を挑みます。
03.前期古墳03:ヤマト
ヤマトは発展を続けますが、それは大きな変化をもたらしました。
04.佐紀
4世紀中頃、倭国の中心地はヤマトから、北の佐紀(奈良市)に遷ります。これは周辺豪族のパワーバランスの変化によるものと思われます。
◆東国遠征編
四道将軍やヤマトタケルの東征伝説を見ていきます。
05.東国遠征01
06.東国遠征02:尾張から陸奥まで
07.東国遠征03:陸奥から能褒野まで
◆倭済同盟編
4世紀後半、倭国は百済により再び東アジアの国際社会に引き込まれます。
08.百済建国
09.七支刀
倭国は百済と同盟し、間接的に東晋の友好国となりました。
10.新羅建国
新羅が出現し、高句麗と手を結びます。
11.好太王碑
12.辛卯年
倭人が渡海して朝鮮半島南部に上陸しました。
13.倭満其中
百済や新羅を巡り、高句麗が倭と戦います。
◆倭の五王編
高句麗と倭の戦いは終わり、倭の五王が南朝に朝貢する時代に入ります。
14.倭讚
15.河内王権
王権の中心地は、佐紀やヤマトから河内に遷ります。
16.仁徳天皇
仁徳天皇は河内を中心として、壮大な土木工事を行ったと伝えられます。
17.讚と珍
倭の五王の讚と珍は、記紀でいう履中天皇と反正天皇に比定されます。
18.倭濟
濟は允恭天皇にあたります。
19.興と武
興は安康天皇、武は雄略天皇です。
20.倭王武
倭の五王の最後、武=雄略=ワカタケルは「治天下大王」を名乗りました。
21.大悪天皇
中央集権を進めた雄略天皇は「大悪天皇」と恐れられました。
【続く】
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