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【ジャンクヤード】Twitter海まとめ92.5【邪馬台国特集】

ドーモ、三宅つのです。例のアレでTwitter上に邪馬台国が相当高まり、ついカッとなって関連RTが増えすぎたので特集します。ヘッダー画像は千葉県の芝山町立芝山古墳・はにわ博物館の展示で、邪馬台国とは関係ありません。

つのは邪馬台(ヤマト)国の中心は奈良盆地東南部にあったと考えていますが、フィクションであるFGO次元ではどうだか知りません。邪馬台国に新撰組や女信長埴輪戦士や縄文土器が存在するぐだぐだ時空ですし気にしません。ライターの人は当然きっちり調べた上で書いてるでしょう。ツッコむのも野暮というものです。ただし邪馬台国論争にはマジでうんざりしていますので、この機会に邪馬台国や卑弥呼、倭国についてまっとうな学術的知識が広まることを願っています。イチから説明するとものすごい手間がかかるため、今回はドバッとまとめただけです。徐福伝説も含め、そのうち「つのpedia」でまとめるかも知れません。

鋼鉄ジーグ

※司馬氏と卑弥呼が戦うダイナミックなロボアニメです。卑弥呼の時代に形象埴輪はまだありませんが、ハニワと戦うのは鋼鉄ジーグがモチーフのひとつであろう可能性は大いにあります。

卑弥呼

※日本版『ロータス戦記』のイラストの人ですね。FGO海の卑弥呼はやたら豊満で脇を見せつけて来ますが、ソシャゲのキャラの乳は盛れば盛るほど儲かると魏志倭人伝にも書かれています。

※中の人は福岡出身ですが、邪馬台国が九州とは限りません。創作作品の多くが邪馬台国をヤマト以外に置いているのは、ヤマト王権の起源と直接関わらせると政治的にめんどくさいというのもあるでしょう。

関連書籍

※とりあえず全部読んで下さい。村井康彦『出雲と大和』もいいのですが、「邪馬台国は日向狗奴国の神武に滅ぼされた」というのはちと飛躍しています。九州の勢力が畿内を征服したという考古学的証拠はなく、倭の五王の上表文にも隋書にも神武東征の話はありません。日本書紀を編纂するにあたって新しく作られた神話でしょう。古田武彦安本美典はカルト化しており危険なので無視して下さい。

邪馬台国太平洋説

※はまぐりとか獲ってるのでこの邪馬台国は海辺にあるようです。

※東夷伝は政治的理由により里数や日数が5倍誇張されており、投馬国への方角が東から南へ曲げられたのでこんなになってしまいます。しかも倭人条には誇張していない数字も混ぜ込まれています。

※これは魏志倭人伝ではなく、北史や隋書にある「邪摩堆(ヤマト)」への道で、距離も方角もあっています。直線に東南ではなく、ヤマトまでの水陸の道が曲がりくねっているだけです。

※ほとんどニンジャスレイヤー。

おまけ:ムーと黄泉

※直接は無関係ですが面白かったので。王仁三郎の託宣がチャーチワードの著作より先だと言われますが、だとしても生物学上の仮説が転じて神智学の与太話になっていたレムリア大陸をパクっただけでしょう。ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』は1888年には出ています。

邪馬台国と吉備

※卑弥呼ともされる倭迹迹日百襲姫命と、桃太郎ともされる吉備津彦命は、共に孝霊天皇を父とします。日本書紀にそう書かれています。年代計算すると崇神天皇の時代には200歳ぐらいですが大丈夫でしょうか。実際に纒向の形成には吉備も強く関わっていたことが判明しています。そういえば卑弥呼の時代の桃の種も纒向で以前出土しましたね。唐古・鍵遺跡は弥生時代に銅鐸の一大生産センターでしたが、古墳時代に入る頃には衰退し始めており、纒向以前のヤマトの都なのかも知れません。

徐福と邪馬台国

※稲作自体は縄文時代からあったようですし(諸説あります)、水田稲作も徐福の数百年前には伝わっていたようですが、かわいいのでよしとします。

※安彦良和氏の漫画『ナムジ』は原田常治氏の『古代日本正史』を下敷きとし、徐福が筑紫の山門に最初の邪馬台国を築き、100年後に主力が奈良に遷った(九州と畿内の両方に邪馬台国があった)としています。そして畿内邪馬台国の統治者が登美の長髄彦で、彼の婿が饒速日(於投馬王スサノオの子)や神武(卑弥呼=日向邪馬台国女王アマテラスの孫)だというのです。物語としては面白いですが、さてどうでしょう。

投馬国出雲説

※つのもそう思います。ただ水行で1日20kmは遅いので、里数と同じく日数も誇張されていると推測しています。15世紀朝鮮の『成宗実録』には「壱岐から北海(日本海)を渡れば順風なら8日で若狭に至った」とありますし、海流に乗り風を利用すれば、宗像から出雲まで4日、出雲から丹後まで2日で移動は可能でしょう(理想速度であり常にこうとは限りません)。丹後からヤマトまでは200kmほどで、山道とはいえ陸路で1ヶ月もはかかりません。30日を5で割れば6日、1日33kmです。

邪馬台国の彼方にあるという21の「其餘旁國」は、南でも北でも東でもないなら西です。最後に「奴国」が出て「その南」に狗奴国が記されるため、瀬戸内海を西に進んで北部九州最大の国(2万戸)である奴国に戻るルートでしょう。「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」は奈良から見て東、伊勢湾の彼方の濃尾地方です。「去女王四千餘里」の侏儒国は伊豆諸島でしょう。「周旋可五千餘里」は誇張されていない推測実数で2170km、およそ西日本全体になります。つまり、こうです。

 末盧→伊都→奴→不彌→(水行)→投馬(出雲)→(水行)→ 丹後
       │                    ↓
       │                 (陸行6日)
       │                    ↓
      奴←――――――――二十旁國(豊後~瀬戸内)←―――――邪馬臺――→東渡海(伊勢湾)→倭種(濃尾)
       ↓
     狗奴(菊池・球磨・曾於)

【以上です】


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