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昔書いていた文章の話

そういえばnoteを始める前僕ははてなブログを書いていた。

エンジニアは勉強した技術の備忘録と誰も解きたくない面倒な不具合の解決方法をインターネットに残す生き物である。僕もそれにならってまっさらなノートという造語のタイトルのページを勝手に作った。ノートは音符という意味もあるから、当時気に入っていた。

大学3年の終わりくらいから書いていたと思う。時々頭がおかしくなったり自己嫌悪に陥ったりしているのは研究で頭がやられていたからである。読んでわかる通りこの時僕の自己効力感はほぼ0に等しかった。何を勉強しても結果が出ないというか、周りがここまでやり切ってるのに僕は何をとってもその段階までこぎつけることができない、そういう無力感をひたすら感じていた。25歳の時、なぜかゴールデン街で酒を呑んでいたら60人くらい志願者が落っこちてるベンチャーに偶然入社できたことがあるのだが、それはこのブログを見たからとのことだった。ちゃんと読んだか!?と思ったのを今でも覚えている。本当にいい会社だったのだが、案の定3ヵ月で辞めた。

noteを始めたのは、実は技術以外のことを書きたい衝動が抑えられなくなって限界に達したからだった。僕の記事の中でもダントツで読まれているこの記事はちょうど杉並に住んでいる時に書いたもので、その会社に勤めてゆっくりこの街で暮らそうと思っていた矢先に仕事の難易度が上がり、プライベートも修羅場になって治りかけのメンタルが壊れた頃のものだ。ほんとうに人生はうまくいかないなと呆れていた気がする。

如何に冷静な文章を書いて、おかしい自分をおかしいと思われないようにするかを必死に考えていた気がする。とにかく社会人として未熟すぎた。まあそれは今でもそうなのだろうが、今よりもっとひどかった。

最近慣れ親しんだ街で別業界での社会復帰を果たし、真面目で一生懸命やる仕事のできる人とかいう言われたこともない評価をもらって有頂天になっている僕は、勉強にもう一度火がついて眠れなくなっていた。終業後いてもたってもいられなくなって、自宅のPCにもう一度Linuxをインストールした。身体がおかしくなる程のめりこんだのだから、できるできないはともかくやっぱりITが好きなんだなと思った。高揚感が懐かしい。文法は少し忘れていた。そういえばUbuntuは僕の修士論文の進捗を1年遅らせたIOのバグがあるのだが、そんなにサーバを酷使しない環境では一番好きなOSである。

Pythonがしたくなって環境構築するわい。

昔の急激な肩こりが蘇ってきたのでたぶん長時間はできない。ただ日記を書いていてもこうはならないのだ。そして一日で環境構築までしか進まない自分が今日も少しだけ嫌になる。あんなに過酷な環境で優秀な人達を見てきたのに僕はこの程度なのかと。しかしそんなことは気にしても仕方がない。誰と比べるでもなくできることが増えていく様を僕は楽しみたいだけなのだ。

技術に、仕事に、音楽にあたっている時、僕は不器用な自分がほんの少しだけ理性的に何かをこなし、何かを積み重ね、何かができるようになっていく姿をいつもいつも渇望している気がする。


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