浪費
どうしよう。
ギターを弾いていたら、気づけば2023年3月13日、という世界でたった一度だけの日の、24時間のうち18時間が過ぎてしまった。
別に特別な日ではないけれど、こうやって思うとなんだか損したような、
それでもって、明日からの1日を大切にできそうな気がする。
気がするだけ。どうせ明日は2週間ぶりのバイトで、たぶん気づいたらまた1日が終わっているのだろう。
考えすぎるがゆえに飛躍して意味の分からない思考になってしまう。と昨日述べたが、今の私にも同じことが起こった。
というか、意識が飛んでいた。
この記事を書いている途中で気になったことがありSNSを見ていたのだが、読まなければならない本があったことを思い出して、すべて忘れてその本を読み始めた。
無音状態が苦手な私はヘッドホンで音楽をシャッフル再生しながら、途中だった本を開いた。
その途中でふと、違うことについて考えだした。それも先のことを想像した、脳内で勝手に予想した未来。
聞こえてきた音楽に精神状態からかなんだか勝手に涙腺が緩んで、別に悲しい曲でも、思い入れのある曲でもないのに、そこから違う曲を思い出して、勝手な思い出と結び付けて、未来を想像した。
想像というのもおこがましい。
妄想である。
でも体というのはわからないもので、私は実際に、耳で音楽を聴き、脳で妄想をして、目で本の文字を追いかけている。
マルチタスクは得意だが、さすがに聖徳太子でも感覚ごとに思考を分けるのは難しいであろう。
当然私は聖徳太子以下の人間。そんなことはできない。
音楽は聴こうとして、というよりもBGM感覚で流していたのでさほど問題ではなかったが、
問題は本。
気づいたらページをめくっていて、はっとして続きから文字を読んでも、文章の意味が分からない。
意味が分かるところまで遡るとなんと2ページも体が勝手にめくっていた。
なんて恐ろしい。こうやって私はエンタメを浪費してきた。
私なんぞに扱われるこの本が可哀そうだ。
そうならないように、とりあえずヘッドホンを外すことを決意した、雨も止んで日もすっかり落ちた午後6時。
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