全く違う人生を送ってきた別人格なら、意見が一致しないのも、当然のことですよね。
ある人物が、それまで生きてきた中で経験した固有の出来事に根差して、特定の考えに固執する、というのはよくあることです。たとえば、ジンクスもそうでしょうか? 実際には因果関係がない事柄同士を、あたかも関連することのように思い込んでしまう、それは、よく言えば疑うことを知らない、悪く言えば、思い込みが激しい、偏狭ということでしょう。
その人が、自分のことに関してのみ、その手のこだわりを持って行動する分には、別に他人がとやかく言うことではないと思います。しかし、その人が何らかの妄執を、他人にまで押し付けようとしたら、どうなるでしょう? 押し付けられる側としては、全く理解できない、わけのわからないことを黙って受け入れるなんてことなんてできませんよね。そうなると諍いなどが生じるわけです。
よくよく考えてみると、社会にあふれる意見・提言というものは、各人のそれまでの経験・体験に根差した願望がもとになっています。だったら、みんなが全く同じ人生を歩まない限り、意見の一致なんて到底あり得ないことですよね。そのことを理解していれば「自分の意見こそが正しい!」なんて物言いにはならないと思います。そういう言説はつまり、他者のそれまでの人生の全否定にほかなりませんから。
困ったことに、そういう言説をする人に限って、そういう事情を知ってか知らずか、価値観や死生観の統一といった、個別性を殺す方向への舵取りに躍起になるものです。自分しかない自己中心的な人にとって他者という存在は、きっと邪魔者でしかないのでしょう。
「星屑涙」 ACKO
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