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社会的に信用を失うことばっかりしてるのに、自分の意見が聞き入れられないことに腹を立てるのは、筋違いですよね。

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この話の中にあったゴミ屋敷事件が、その後どうなったかというと、結局行政のほうでゴミの片づけの手配をしたようで、そこに退院した住人が住むということになりました。しばらく、ちょくちょくお役所の担当の人が様子などを見に行くということが行われていたようですが、ある日、死亡している住人を、訪問した人が発見するという顛末を迎えました。なんでも重度の糖尿病で、呼吸器が手放せない状態だったようです。図らずも、身近なところでセルフネグレクトの事例を目の当たりにすることになりました。

考えてみれば、近隣住民と揉め事を起こしていたこと、ゴミ屋敷化で悪臭などの原因をつくり、周りに迷惑を掛けていたことなどから、本人に社会性が欠如していたことは疑いようもないことだと思われます。社会性がなく、他人からの働きかけを拒絶し続けたので、あのような結果になってしまったのかもしれません。

他の動物の暮らしぶりからもわかると思いますが、社会性は他の個体と協力して何かをするのには必要不可欠なものだと思います。なので、一人で暮らしていけるなら、確かに社会性はいらないと言えるでしょうが、社会生活を謳歌しておいいて、そんな主張は通らないと私は思います。実際、そういう振る舞いをする人は『フリーライダー』とみなされて、叩かれる場合がほとんどですよね。人間も社会を形成して暮らしている以上、その手の感覚は、なくならないのではないでしょうか? まあ、ですから、完全な自給自足生活をしている人が「社会性なんていらない!」と、主張しても何も文句は言われないと思いますよ? たぶん。

結局、社会性とは他者との関係を構築できるかどうか、ということではないでしょうか? 利益のためとか、信用・信頼ゆえになど、人によってどういう位置付けなのかは異なるでしょうけれども。つまり、人々の協力を得て、何かを実行したいなら、まずはそっちのほうをどうにかしないとダメ、ということだと思います。自分の都合ばっかりで信用・信頼できない人、そんな人が何を言っても人を動かせないのは、当然の道理ということですね。

「ゲキテイ」

「カワウソイヤァ」新星玲央(CV.宮野真守) 阿久津真武(CV.細谷佳正)


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