見出し画像

一律・画一を強要されたら、生きづらさを感じるのは当たり前ですよね。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7

画像8

画像9

画像10

画像11

動物の意識というものが、様々な環境に対し自律的に順応するためにあるとしたら、その意識次第で環境へ順応できないといった事態にもなるのではないでしょうか? たとえば、特定の環境が自分に合わなければ、別の環境に移動するというのも、動物特有の環境への対応の仕方だと思いますが、何らかの要因で、移動することが阻害されたとしたならば、どうなるでしょう?

その環境に順応しようと何らかの手段を講じる、ということもあるかもしれませんが、すべての個体がそれに成功するわけではありませんよね。残酷なことですが、適者生存というものです。動物にストレスというものがあるのは、環境などにうまく順応できない場合、何とかしようという方向に、意識を向けさせるためだと思いますが、そのストレスも蓄積されると、意欲が減退してしまうということは、広く知られていることです。そして、一度そのような状態になってしまうと、環境を変えても、外部からいくら働きかけをしても、なかなか意欲が回復しないというのも周知の事実だと思います。

私は専門家ではないので断言はできませんが、ニートとか、引きこもりとか、セルフネグレクトとか、世間的にどうしようもない人たちと思われている人たちというのは、もしかしたら、そういう経緯をたどった人たちなのかもしれませんね……。だとしたら、そういう人たちを出さないためのひとつの対処方法は、個々の資質を考慮せず、無理矢理特定の環境に押し込めたりしないこと、自分に合った選択肢を、自由に選択できるようにすることなのではないでしょうか?

地球上には、暑いところや寒いところなど、様々な環境に適応した生物がいます。その多種多様な生き物みんなが生存できる普遍的な環境などないはずです。そんなことお構いなしで、同じ環境に押し込めたらどういうことになるかはわかりきったことですよね。要するに、誰にでも有効な普遍的なアプローチを模索するという方法では、社会の諸問題は悪化することはあっても解決はしない、ということだと思います。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?