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自分ひとりの場合は大丈夫でも、他人と自分という相互関係のなかで自分の都合を優先させたら、信用・信頼が失われるものですよね。

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つい最近、ネットでたまたま思想統一系の人の言い分を目にする機会がありました。そこでは、みんなと同じ思想を受け入れれば、みんなもその人のことを受け入れる、だからそういう社会では諍いなどは起こらない、といった理屈が展開されていました。まあ、誰も彼もを無色透明・無味無臭な無個性的存在だと想定するなら、あるいはそうなるのかもしれません。でも、実際は違いますよね。どんな人にも、それぞれ違った資質・性質があるものですから。

私は以前、普段履きの靴がスニーカーだった頃、市販の染料を買ってきて、靴紐を自分で染めるということをよくやっていました。市販品の靴と靴紐の多くは同系色でつまらないと感じたり、色の組み合わせが好みじゃない、という理由からです。染める方法は、染料をお湯で溶いて、そこに染めたい物を浸すという簡単な作業ですが、材質によって、あと、もとから色が付いている、などの条件によって染まり方が全然違うのです。つまり何が言いたいかというと、みんなを同じ色に染めようとしても、そもそも一人ひとりはそれぞれ違う性質を有しているのだから、みんなが一律均質に染め上がることはない、ということです。

話を元に戻して、不特定多数の人たちに、特定の思想を説いたとしても、みんながそれに従うなんてことはまずありえません。なので、みんなを同じ思想で染め上げるという目的のもとで行われてきたのは、うまく染まるかどうかを基準にした選別・排除ですよね。それがどんな悲劇をもたらしたかということは、改めて言う必要はないと思います。

選別・排除が終わったあとに残るのは、従順な都合のいい人たちなわけですから、そりゃ自分たちの思惑通りの社会が実現するかもしれません。しかし、その理想を実現・維持するために、血なまぐさい選別・排除は繰り返されることになるでしょう。果たしてそれが理想的な社会と言えるのでしょうか? 思想統一系の人たちは、今でも「選別・排除」という言葉をしきりに口にしています。きっとそういう人たちにとっては合目的なのでしょう。自分優先、仲間優先、自国優先の人たちは、とことん異質な存在には否定的ということですね。

「ブックマーク ア・ヘッド」

「Sweet Duet」サーニャ・V・リトヴャク(門脇舞以) エイラ・イルマタル・ユーティライネン(大橋歩夕)

設定的にも、ストーリー的にも、コメディとしても面白い作品だと私は思います。個人的にもっと色々展開してほしいと願っている作品なので、遅ればせながら宣伝したいと思います。



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