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しゃべらべ!

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アメーバブログで連載している作品です。はじめましての方への導入用、あちらをご覧いただいてる方への振り返り用、そして、自分でももう何を書いたかすっかり忘れているので思い出し用に、こ…
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#哲学

怪しい人ほど、損得関連、善悪などの価値観に訴えかけてきますよね。

各種メディアでは、よくよく考えてみると、何の実績もないのに、もっともらしいことを偉そう…

藤苑玲士
3年前

社会を同じ考え・価値観で染めたいなら、最終的な方法は、違う考え・価値観の人間の選…

宗教・思想において語られてきた理想というものは、構成員全員が主張されている内容のように…

藤苑玲士
3年前

自分の価値観を絶対だと思い込んでいたら、多様な価値観が存在するこの世の中を、悪い…

最近、ちょくちょく言っていることですが、社会的なことや、勝ち負けなど、相手のあることに…

藤苑玲士
3年前

教育水準が上昇すれば、理屈の通らない『道徳』や『常識』が影響力を失うのは、当然の…

私もこの連載では、客観的な視点を重視して話をすすめているつもりですが、やはりみなさんが…

藤苑玲士
3年前

本当に個人を救うのは、抽象的な理想ではなく、具体的な対策・対応ですよね。

どうもいまだに『常識』という標語を掲げて、色々喚いているみたいですね。例によって例のご…

藤苑玲士
3年前

自分で判断しないように仕向ければ、当然、良い悪いの判断もしなくなりますよね。

確か森先生が「自分と違う考えを知るのが面白い」という内容のことを仰っていたと思いますが…

藤苑玲士
3年前

いくらお題目を掲げられても、意図や内容が不明瞭なら、守りようがないですよね。

最近では、サイコパスなどダークトライアドの存在が広く認知されるようになったので、ルールや法律などの考え方にも、変化が必要ということでしょうか? おそらく、そういう人たちは、ルールや法律などに対する考え方が根本的に違うので、どんな決まり事を制定したとしても、また、その決まりを守ることを要請しても、ムダなのではないかと私は考えます。 たとえば、婚姻関係などは当事者同士の合意で成立する、約束事的なものですから、配偶者の理解が得られていなかったら、勝手気ままは許されないはずで

何に楽しみを感じるかは、人それぞれだからこそ、俗に言う『遊び』の内容も、バラバラ…

私にとっての『遊び』といえば、やはりゲームだと思います。小学校の高学年のときに、歴史シ…

藤苑玲士
3年前

仕事で何の指示・要求もされてないのに、いきなり文句を言われたら、誰でも困惑します…

世論について思うことは、批判的な意見は目立つのに、建設的な意見、提言などは全然目立たな…

藤苑玲士
3年前

その人にどんな才能があるのかも、その人の人生にどんな意味があるのかも、他人も自分…

完全にひねくれたことを言いますが、スポーツなどで、結果を出した人が「信じれば・夢は叶う…

藤苑玲士
3年前

実際に他人へ不自由を強いているのは、人一倍自分の自由に執着している人だったりしま…

「人間は必ず死ぬんだから生に執着するな」と、言うのなら「人類も必ず滅ぶんだから、国や経…

藤苑玲士
3年前

死後の救済など、不確実な将来の保証を謳い文句にしているということは、結局、現状の…

前々回の付け足しのようなものを書きますが、たとえ社会の構成員全員に、共通の道徳的あり方…

藤苑玲士
3年前

刻々と変化する状況に合わせて、応用できるようでなければ、いくら知識があっても意味…

自然科学や技術的な知識は、広く利用・応用が利くので、身に着けておいて損はないと思います…

藤苑玲士
3年前

『美』が本当に普遍的なものなら、人によって、わかったりわからなかったりするというのはおかしな話ですよね。

いわゆる『真・善・美』的なものは、好き・嫌い、快・不快と深い関りがあるということでしょうか?  たとえば、嫌いなものを食べても美味しいとは感じないので、その対象物を美味しいものとは認識しませんよね。普遍的な『美味しさ』というものがあるなら、好き・嫌いや、美味しい・美味しくないの感覚に関係なく、その『美味しさ』というものを認識できるということでしょうか? 自分の嗜好を満たす行動によって快がもたらされ、その快をもたらした行動や対象物を、善いもの・美しいものとして認識すると