博物館通りでイベントをするならば。晴れの(日)ができるまで②
4月から博物館通りで「晴れの(日)」というイベントをはじめました。
①ではイベント企画をすることになった経緯と大まかなコンセプトについて書きました。続編となるこちらでは、具体的にどんなことを考えたのか、「晴明の朝市」との違いや同じところなどをもう少し具体的に記したいと思います。
博物館通りのどこを使うか?
博物館通りであることはもちろん変わりないのですが、博物館通りのどこをどのように使うかという部分は、「晴明の朝市」からは大きく変わったポイントだと思います。
「晴明の朝市」の時には、博物館通りは歩行者天国になり、通りの端から端まで、両脇に露天がずらっと並んでいたそうです。しかしそうすると、通り沿いに住む方は日曜の少なくとも午前中は車を出せないわけです。「休日に自由に家から出られないというのはイヤだよな…」と実行委員会で話しました。
また、ご時世的なことや自分達で設定したコンセプトを考えると、たくさんの出店者を募ることや、広く広告を打っての開催は厳しいと判断しました。それなら道路の封鎖をする必要もありません。各店やビルの空きスペース、普段は共同駐車場として利用されている博物館通り交流広場を使い、博物館通りの中央部分に密集する形での開催を考えました。
イベント名を変える?変えない?
さて、肝心のイベント名について。イベントについて考えはじめたばかりの頃は、「晴明の朝市」のネームバリューやその復活という話題性にあやかろうとしていました。「しばらく新・晴明の朝市でいく?」とか、「シン晴明の朝市にしたら?(笑)」とか。しかし、いざコンセプトや場所の使い方などが決まってくると、「これは晴明の朝市を名乗ってはいけない」ということに気付いたのです。
20年近く開催してきた「晴明の朝市」はそのネームバリューが絶大な分、どうしても過去のイメージに囚われてしまうと考えました。私たちが引き継いでいるのは、博物館通りの歴史や想いの部分。そこで、実行委員会の名称だけを引き継ぎ、イベント名は変更というカタチを取りました。
市場やマルシェという言葉をつけるとわかりやすいですが、わかりやすすぎて逆にちょっとイメージと違ってしまいそう。どちらかというと、ほんのちょっとだけ特別な日という感じ…。あとは、晴明の名前を連想させるワードはないだろうか…というのが出発点。
その中で出てきたのが「晴れの日曜日」という名前。
そこからさらにああだこうだといろんな意見を出し合う中、ふと相談をした方から、「日曜日を(日)にしたら?」という、見事なアイデアをいただき、「晴れの(日)」という名称に決定しました。雰囲気や語感もしっくりときていて、とても気に入っています。
(毎回カッコを入力するのがちょっと大変ですが(笑))
「無理をしない」自然体なスタイルで
これは私の主観かもしれませんが、博物館通りのお店たちは自分のキャパシティをとてもよく理解している方が多い気がしています。無理せず、身の丈の中で商売をしていくスタイルがとても素敵です。だから、イベントも自然体で「無理をしない」ことは大切にしています。
イベントの規模もあまり大きくしすぎず、こぢんまりと。毎回300人を集客目標とし、チラシも300枚だけ作成しています。かつての朝市の大きなテントや横断幕も割愛しました。あとは、自分達のできる範囲で工夫して行うために、いまのところは補助金を使っていません。使えるお金があるとあれもこれもと身の丈に合わないことをしてしまいそうなんですよね。
そして理想は、お客さんと出店者と主催の垣根をなくすこと。毎回来てくださるお客さんが気づいたら店のお手伝いをしていた、とか。お皿を持ってきてもらって、店舗のごみの負担を減らすとか。主催がゴリゴリに運営をしなくてもよくなるとか…。
さながら即興ではじまるセッションのような、フレキシブルでシームレスなイベントの在り方を模索しています。理想に向けてまだまだこれから。できていないところはたくさんありますが少しずつ地道にコツコツと積み上げていきたいと思います。
続けるために、どうするか
そして、もう一つ大切にしたいのが「続ける」ということ。
これは私個人にとっても大きな課題です。
正直なところ、1つの物事を継続することは私が1番ニガテとすること。好奇心が強すぎるばかりに興味の方向が次々と変化してしまうのです。そんな私のクセをいかにして克服するかが、晴れの(日)を通した私自身の挑戦です。
我慢とか歯を食いしばってとかではなく、できれば移りゆく興味をうまく活かせたら良いなと思います。その方法を模索するチャンスでもあります。続けるためには、これもやっぱり「無理をしない」ことが大切。だからなるべく負担に「思わない」ように、ある意味自分をうまく騙しながら継続していきたいです。
私1人ではなくてチームだから挑戦できることだと思います。もし、これができたら、「晴れの(日)」は毎回チャレンジばかりの刺激的なイベントになりそうじゃないですか?
晴れの(日)はスタイルも、方法もまだまだ模索中。気づいたら今と全く違う雰囲気になっていたということもあるかもしれません。どんなカタチであれ、ここに集まる人たちが楽しいと思っていただければそれが正解なのだと思います。固めすぎず緩すぎず、絶妙なバランスを探り探り保てていけたらと思います。
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