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移住バブルを楽しめるか?

2021年、いや2020年末ごろから大きな壁にぶち当たっている気がする。どうやらそんな現状が見えてきたので、ここで一度書き記しておきたいと思います。

(これは誰かのせいだとか、なんとかして欲しいとかを伝えたいのではなく、あくまでも「わたし」の現状であり、自分でもがいて脱出するしかないということを前提にぜひ読んでください。)

移住バブルという現象と、すぐに飲み込まれてしまうわたし

「移住バブル」と聞いてピンと来る人は少ないと思う。これは、私が越前海岸時代にお世話になっていた志野さんが使っていた造語だ。

この頃の私は、濁して書いていたが、なぜだか人に会うのが億劫になったり、人や食や会話や、通常楽しみなことに興味がなくなるという事象が発生していた。これは飽きたとかではなく、日常の全てが面倒になる感覚に近い。

それで、せっかく越前海岸という最高のロケーションにいるのに、なるべくシェアハウスからは出ないし、出てもせいぜい夕方に散歩するというような、引きこもり期間があった。

なんでそんなことになったのか、よくわからなかった。いろんな人に出会って、いろんな人の人生を聞いて、そこから自分の生き方を考えて...。最初は楽しんでいたのになぜか急にそれが億劫になった。今までどおり人の話を聞いていても、右から左へと抜けていってしまう。しまいにはパンクして耳を塞ぎたくなるような、そんな状態。こんな状態では、もちろん取材をする仕事にも影響が出る。話を聞くモードに入れなくて、そもそも質問すら浮かんでこない。

この状況を素直に志野さんに話したら、志野さんはこれを「移住バブル」と呼んだ。

場所を問わず、移住者というのは、どうしてもよそ者として注目を集めてしまうらしい。私のような「気にしい」なタイプは、知らず知らずのうちにその注目からストレスを感じてしまうのかもしれない。

得体のしれない焦り

越前海岸時代は、所詮2ヶ月。当時は公な活動もしていなかったからそれまでで済んだ。

しかし、最近はどうもまた調子が悪い。

ある意味、注目を集めるのが仕事であり、とてもありがたいことばかりなのに、自分の活動に注目をいただけばいただくほど、人が怖くなってくる。考え過ぎてしまう。「意図と違う汲み取られ方をしないように」「地域おこし協力隊としての振る舞いを考えなければ」そんなことに気を取られ、本質が見えなくなる。自分という軸がぶれる。

「最初だけで終わらないように」「何か次のこと考えなくちゃ」「3年しかない期間に何をやるか、何を身につけなければいけないか」終いにはこんなことまで考え出す。3年後なんて今考えてもわからなくない?

得体のしれない不安にあわせて、今回は得体のしれない焦りまで乗っかってきた。「考えてしまうのは余裕がある証拠では?」と、気づけば仕事をどんどん増やして、さらに自分に余裕がなくなり、焦りに拍車がかかる。

心がガザガザする

自分という人間がほとほと嫌になるのだが、こういう状態に陥ると、私は心がガサつく。人に優しくなれなくて、どこか攻撃的だったり、捻くれたり天邪鬼だったり、他人の言葉を歪んで受け止めてしまったり。なんだがすべて悪いように捉えてしまう。

だから、人に会うのが怖いし、会っても言葉として出てくるものがなんだか黒い。口からモヤが出てきているようなそんな感覚になる。こんな人間といても気持ち良いわけがないじゃないかと、さらに自分が嫌になる。嫌われないかと不安になる。負の連鎖でどこまでも落ちていく。

感性に潤いがない。みずみずしさ、エネルギーが足りない。
書く言葉・話す言葉、行動に心がついてきていない状態が今。感じることが少ないので、書ける言葉も少なくなる。健やかじゃない。

先日「あやかちゃんはスーパーマリオタイムみたいな無敵感がある」とある方に言われ、すごく怖くなった。「スター摂取し続けないと終わるやん」と。

スターが切れたらどうなるのか。今度は私の悪い部分ばかり見えてしまって、このまちでもう何もできなくなるかもしれないと思うと怖くてたまらない。

二度目の「移住バブルだね」

リフレッシュしてみたり、仕事を減らしてみたり、お付き合いをお断りしたり、逆に仕事を増やしたり、、、この2ヶ月ほど、色々試してみた。

「よくなったかな!」と思っても、すぐにまたダメになる。そんなことの繰り返しで、急に越前海岸に帰りたくなって、帰ってみた。

現状を話すと、今度は要さんに「移住バブルだね」と言われた。

それまではすっかり忘れていたけれど、「ああ、そういえばそんなやついたわ」と、ようやく思い出した。

「移住バブルです」と診断されると、「なんだ移住バブルか」と思うのが不思議なところ。視野が狭くなって、自分でモヤを揉み込んで大きく膨らましていたことに気づいた。

忘れていたのは、「あらゆる出来事を楽しむこと」かもしれない。敦賀での暮らしを楽しむことを大前提に暮らしていたのに、なんだ今では自分で楽しくなくしてるじゃないかと。

だから、「移住バブルも楽しんでしまえば勝ちじゃないか」そういうことなんだが、さてこれは一体楽しめるものなのだろうか。







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