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あの懐かしき1年に思う──江沢民の葬送ラッパ

 早いもので私が中国に旅立ってからちょうど1年を迎えた。去年の今頃、飛行機から見えた中国大陸は赤茶けた不毛地帯だった。

 今思えばこのコロナ禍で中国という国は大きな転換期を迎えた。新型コロナウイルスが流行する前、中国の経済的・国際的な力は強大であり、将来性のある国だと思われていた。今当地に留学している人の多くはその時代のイメージを中国に持ち、彼の国へ旅立ったのである。もちろん私もその1人だった。
 コロナウイルスは中国という国が我々西側諸国とは全く異なる価値観に成り立った国であることを如実に示した。政府による統制のもと、14億の大陸には竹のカーテンが下された。我々留学生とて例外ではない。2年近くビザ発給は停止され、22年9月に発給が再開され、忘れもしない10月22日にあの中国の土を踏んだのである。

 振り返ればあの頃の中国渡航というのはとても特殊な経験になった。二度のPCR検査と合計2週間以上の隔離を経てやっとカーテンの向こう側で活動することを許されるという状況だった。
 コロナ前に思い描いていた強大な中国をやっと見て回れるようになった時、中国の各地でゼロコロナ政策に対する反発運動が起き始めた。大使館からは毎日のようにメールが届き、留学生は大学内に閉じ込められた。そして江沢民元国家主席が死去した。中国社会は全てモノクロになり、11月の冷たい風の中、彼を弔う空襲警報が鳴り響いた。

 ゼロコロナ政策が撤回されたのはそれから間も無くのことである。徐々に統制が解除され、多くの中国市民は先日までのゼロコロナ政策を忘れたかのように2.3年越しの外出を、旅行を楽しんだ。
 社会の目まぐるしい変化はまるでゼロコロナなどなかったと言わんばかりの勢いだった。しかしスマートフォンの写真フォルダには緑色の健康コードの写真が確かに存在していた。

 23年に入ったころには省を跨いだ移動も完全に自由になり、私も中国全土の半分を旅行した。
 移動する先々で見た光景はどれも忘れ難いものだったが、どの地域に行っても共通していることがあった。かつて19年に中国を訪れた時とは明らかに異なる物々しさが確かに存在していたのだ。
 ああ、コロナ禍で中国は変わってしまったのだ。かつての明るい未来を信じていた中国、外向きの力を無限に持っていた中国は遠い過去に行ってしまったのだと感じた。

 私が日本に帰って数日後、中国政府は反スパイ法を改正した。中国が世界に誇っていた不動産集団は巨額の負債を抱えていると連日報道された。習近平国家主席の思想は文化や教育にまで及ぶようになった。
 改革開放以降、中国という国は飛躍的に成長を遂げていた。文化大革命での過ちを過去のものにして、実利を優先した国家へと変貌を遂げたと世界は実感していた。習近平政権が徐々に統制を強めていった10年代でさえも、多くの人は開明的な中国が無くなることはないだろうと思っていた。

 しかし今や中国は文化大革命2.0になろうとしている。そこに改革開放の面影はない。目に見えないほど小さなウイルスが大国を動かし、1人のリーダーの死は繁栄の時代に引導を渡した。

 今思えば、江沢民を弔うあの空襲警報は、開明的な時代の終わりを告げる葬送ラッパだったのかもしれない。

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