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新疆ウイグル自治区──祈りなき紅いオアシス①

 新疆ウイグル自治区。中国の中で最も西北に位置する行政区画で、少数民族のウイグル族が多数を占めるエリアだ。そして何よりこの中国の地方行政区は、人類史上あってはならないジェノサイド・民族浄化が今まさに行われているだろう場所としても知られている。5月も終わりが見えてきた頃、私はその新疆ウイグル自治区にいた。

シルクロードの汽車は往く

出発する列車を見送る北京駅。

 北京から向かうにあたって、まず目指したのは首府が置かれているウルムチだ。ウルムチまでは飛行機で行くのが一般的だろうが、やはりシルクロードのオアシス都市。ここはひとまず行きだけでも陸路で繋ごうということで、北京西駅を午後9時に出発する寝台列車で2泊3日間の列車旅と相成った。

 今回同部屋になったのは、ウルムチに住んでいるという(顔立ちからしてきっと)漢族だろう男性とその同僚。特にトラブルもなく北京駅を出発したのを見届けた束の間、目が覚めたら列車は内蒙古自治区の臨河駅に差し掛かるところだった。
 この日は丸一日列車に揺られる日。同部屋の男性と一緒に段々と木々が少なくなる車窓を眺めながら、時折男性が「あれは高鉄の線路を建設しているんだ」や「此処から先はもう何もないんだ」と会話をするような、あるいは独り言のような話を聞きつつ平和な一日を過ごした。

弁当とはいえ、調理したてなので普通に美味しい。

 長時間寝台に揺られるとなると、当然のことながら食事と風呂などの問題が出てくる。
 まず食事については、中国はどうやら列車の職員が最後まで乗り通す関係上、福利厚生を兼ねてなのかどの路線でも食堂車が必ずついている。市域より少し割高だが、食堂車で車窓を見つつ出来立ての中華を食べる体験は人民鉄路の醍醐味と言えよう。他にも車内販売も充実しており、そこでカップラーメンなどを買うことができる。人民鉄路には全車両に給湯器がついているので、そこで調理ができるというわけだ。

 風呂については、日本のサンライズ号などと異なり、ほとんどの路線にシャワー設備のない人民鉄路では、基本的にシャワーを浴びずに最後まで乗り通すことになる。自分の場合は、圧縮されている水で戻すことができる使い捨てタオルのようなものを用意しておき、車内の給湯器の熱湯で戻すことにより、死ぬほど熱いタオルを錬成することで対応していた。給湯器の近くにはトイレがあるので、サッと体を拭く分にはとても便利。とはいえこれはあくまでも応急措置なので、気になる人は下車後まずはホテルに行って(中国は午前でも大体チェックインできる)、シャワーを浴びて荷物を置いてから観光に行こう。

ウルムチに近づくにつれ、どんどん緑が少なくなる。

 到着日の朝。起きると、昨日まではまだステップ地帯のように低木が見えていた大地も、いよいよ本格的な砂漠へと変化していた。トルファン駅を過ぎたらいよいよ終着のウルムチ駅だ。

オアシス都市ウルムチ

随分と近代化されたウルムチ駅。

 ウルムチ駅は、近年の西部大開発の影響もあり、比較的新しく規模も大きい駅となっている。降車後の改札を普通にいなしたあと、タクシー乗り場の表記がある出口に向かおうとすると、もう一つの改札のようなものがあった。
 外国人がこのようなゲート・改札を通ろうとする場合、基本的にはパスポートの番号を人が手入力したり専用の機械にスキャンする必要があるので、今回のケースも有人のゲートを使うことにした。

 ゲートを抜けたあと優しそうな警察の人に促されて出口に向かうのかと思いきや、そのまま警察の派出所へ。地方によっては登記じみたことを行うケースはそれなりにあるが、初手でここまで本格的にやられるケースは初めてだ。
 まずは警察の指示に従いウルムチに来た列車の予約画面と、宿泊予定先のホテル、北京までの出境手段全ての情報を登録する。次に電話番号と名前を控えられ、最後に入境目的を聞かれる。すべてが終わると、奥から他の警官も出てきて内容を改めて確認されて解放されるという具合だ。
 とはいえ、何らかの対応があることは予想していたので、特段緊張することなく登記を済ませる。楽しんで!という警察の声に見送られ駅から一路市街へ。

ウルムチではこういう鉄格子のあるタクシーをよく見かけた。

 タクシーに乗って車窓を眺めると、ウルムチ市街は砂漠の都市というイメージとは裏腹に、とても緑の多い都市だと気付かされた。そして以前から某大阪領事も喧伝していた通り、本当に発展している中国の地方都市という風情があった。多分瀋陽などの地方の中核都市という規模感くらいには発展しているのだろう。

 とりあえずホテルにチェックインし一段落したところで市街に繰り出す。まずは昼食を摂って、バザールへ向かうことにした。

バザール探訪

ウルムチのバザール。

 イスラーム世界の都市ということもあり、ウイグル自治区の各都市にはバザールと呼ばれる市場が充実しており、これが観光の目玉になっている。多くの場合は市街の中心部にあるので、昼と夜両方訪れると違った景色を見ることが可能だ。

ウイグル料理だとポロというらしい。

 昼食はバザール近くのウイグル料理店へ。当地に来て初めてのウイグル料理にはプロフ・ポロと呼ばれる米料理を選んだ。
 調理法などあまり詳しいことは分からないが、これは羊の油で炒めているのだろうか。どうにも羊の風味がとても強い。中国に来る前から羊料理にはそれなりに慣れていたつもりだが、それでもここまでダイレクトに風味が強いものは初めて。多分苦手な人は本当に難しいんじゃないかという料理だ。

 食後、運動がてらいよいよバザールに向かう。ウルムチのバザールは2つあり、片方は屋台街とその隣にショッピングモール的なものがあるバザール。そのバザールから道路を挟んで向かいに、かなり観光化された国際バザールというものがある。ショッピングモールの中に入ると──これはウイグル族のものなのか、中央アジア文化圏のものなのかは判別しづらいが──絨毯やカシミヤのストール、金属器などがひたすらに並べられているエリアが広がっていた。

衣服や地域特産品を扱う店が立ち並ぶ。

 「お兄さん見てってよ!」とやけに威勢のいいトュルク系の顔立ちをした女性に声をかけられる。どうやらストールや布製品を扱っているお店みたいだ。熱心に説明する彼女が取り出してきたストールを触ってみると、確かに質の良いなめらかなカシミヤ地のストール。日本なら6,7000円くらいはするだろうストールの値段を聞いてみると、120元(2400円)と言うではないか。しかも購入を渋っていると最終的に80元(1600円)になったし、これは本物なのか……。

 ──帰宅後、改めて触り心地などを見てみてもやはり本物としか思えない質をしている。ここまで安くするには人件費を極限にまで抑えなければならないだろう。つまりはそういうことなのかもしれないし、単純な考えすぎかもしれない。──

公園、そして水の都

まるで都市部の公園のようだ。

 隣の国際バザールは夜の楽しみに取っておくことにして、ホテルに荷物をおいて人民公園へ向かう。人民公園に向かう途中、白亜のモスクが目についた。しかしモスクに書いてあるはずのカリグラフィはすべて外装と同じ白のペンキで消されており、入口の前には五星紅旗が掲揚されていた。厳重に柵で閉ざされたそのモスクに人の気配を感じることはなかった。

 人民公園は正に砂漠のオアシスという感じで、とにかくいけと噴水が目立つ公園だった。そして公園の名に恥じず、多くの市民が広場舞をしていたり音楽を演奏していたり、家族連れは併設されている遊園地(昭和のデパートの遊園地より少し大きいくらいだろうか)で子供を遊ばせていた。

日本で見かけることのなさそうな組み合わせだ。

 公園で時間を潰してもまだ日が沈まない。午後9時すぎにやっと夕方になるような土地ではむしろ時間が余って仕方ないのだ。そこで紅山公園というもう一つの公園に向かうことにした。ここからはウルムチ市街が一望できるだけあり、それなりに観光客も居るようだ。その公園の一角に遠望閣という3階建ての小さい建物があった。屋上まで登ると名前の通り市内がそれなりに一望できる。

ここがかつてのシルクロード都市なのか。

 ──そこから眺める市街地はとても発展しており、日本の地方都市ですら敵わない規模の高層ビルが立っていた。かつてのシルクロードの中継都市というような、多くの商人、冒険家、バックパッカーが憧れる面影は残っておらず、砂漠の中に佇む無機質な摩天楼は、新中国の成果だと言わんばかりに輝いていた。──

ウルムチの三日月は2つある

夜のバザール。①
夜のバザール。②

 紅山公園を見終えてやっと夜になろうとしている国際バザールへ。日が傾いて涼しくなったからだろうか、昼間より多くの人でごった返すバザールはこの都市の発展ぶりを映すようだ。モスクを模して作られたミナレットの三日月が異国情緒を掻き立てる。

 このバザールでの夕食は脇道の食堂でウイグル名物のラグ麺にした。多くの人がウイグルで惚れ込むこの味はなるほど、確かにトマトソースにニンニクのパンチが丁度良い。それでいて小麦の中細麺がいい感じに絡んで、思ったよりさっぱりと頂くことができる。

 食後、少し火照った身体を砂漠特有の涼風と屋台で買ったスイカが冷やしてくれる。なかなか沈まなかった太陽もすっかり落ち、かつてのオアシス都市を三日月が照らしていた。

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