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新疆ウイグル自治区──祈りなき紅いオアシス②

 新疆ウイグル自治区。中国の中で最も西北に位置する行政区画で、少数民族のウイグル族が多数を占めるエリアだ。そして何よりこの中国の地方行政区は、人類史上あってはならないジェノサイド・民族浄化が今まさに行われているだろう場所としても知られている。5月も終わりが見えてきた頃、私はその新疆ウイグル自治区にいた。

砂漠の星を駆ける

9時半を過ぎてやっと日が落ち始めるウルムチ駅。

 ウルムチ駅午後10時。カシュガルに向かう寝台列車「喀什号」は夜の夕焼けの中、プラットフォームを静かに滑り出た。

 ウルムチ─カシュガル間は観光需要も多いことから、一部の夜行寝台は若干観光向けに設備が良くなっている。今乗っている喀什号がまさにそれで、車内の至る所に路線周辺の観光案内雑誌があれば、各コンパートメントには地名などを冠したプレートが付いている。尤も、この様に観光化されていても、もともとしっかりと整備された観光列車ではなく、車内設備自体は普通の寝台と変わらない。このように少しだけ手を加えたようなものは、予約サイトではわからないので若干の運要素が絡む。

喀什号の客室。非常にハオい。

 折角なので今回の移動区間は高軟車という2人個室の車両に乗った。かつての北斗星ツインデラックスとほぼ同じ設備で、二段ベッドにソファとテーブル、トイレが備え付けられている。大陸式服務と先進的なシステムにより案の定相部屋になったお相手は、私と同じく旅行中の青年だった。

 青年の話しぶりからするに、ウイグル自治区は近年中国人観光客で多く賑わう、まるで海外のようなエキゾチックな観光地として認識されているらしい。また彼曰くここ数年で治安が「劇的に」改善されたこともあり、そしてこれから向かうカシュガルは、ウイグル人の住居などが「新しくきれいに整備」されたこともあり、旅行先として最適なのだという。

 コロナ禍における詳細な現地情報がなかったばかりにどうなっているか心配だったが、これは思ったより都市の浄化が進んでしまっているかもしれない。そんな事を考えつつ眺める車窓の砂漠を三日月と星がかすかに照らしていた。

蒼天のオアシス

朝の喀什駅。蒼天のなかで。

 目を覚ますと、列車は赤茶けた崖の間を抜け、カシュガル駅に着いた。露天のプラットホームを抜ける風が有り難い。
 自分の予想に反しカシュガルでは何一つ検査なく駅の外に出ることができた。それにしても市街地までの移動手段がない。途方に暮れた刹那、タクシーの運転手に声をかけられるも相手は漢語を介さない。ただどうやら乗り合いらしく先の同乗者がいたので、そのおばちゃんを経由してホテルに向かうことができた。

 ホテルはカシュガルの老城と呼ばれる旧市街に位置する。自動車が入れるのは路地手前の大通りだけなので、適当な場所で降ろしてもらって路地の中に足を踏み入れる。

カシュガル老城の外縁部。

 ──まさに砂漠を固めたかのような色の欧風の建物が左右に並び、軒先ではウイグルの民族帽を被った男性が座っている。道路の脇には深緑の木々が立ち並び、砂レンガのような風合いの道路に葉の陰が落ちてゆく──

ホテルの吹き抜け。

 ホテルは情緒豊かな路地の更に奥、入り組んだ迷路のような道を抜けた先にある小さい宿だ。ウルムチと違い、入り口に荷物検査すらないおおらかな宿の部屋に向かうと、そこは吹き抜け廊下の3階に位置する、小さいながらも過ごしやすい空間だ。

ホテルのすぐ近くの路地。

 宿自体が老城の中にあるので、細い路地を抜けると直ぐに市街地に入ることができる。市街地は概ねRPGゲームの砂漠の王国のような、アラジンの世界のような景観がずっと広がっている。

祈りなきモスクと骨董市

エイティガール寺院。アラビア文字はどこにもない。

 老城の大通りを抜けるとモスクがある広場に躍り出た、新疆報道などでよく映るランドマーク「エイティガール寺院」である。モスクの象徴とも言える扁額はもちろん、外観から全てのアラビア文字が廃されたこの祈りの場は一般に公開されている。
 礼堂に入ると、外部から撤去されたと思われる扁額はこちらに移されていたが、礼拝できるスペースには入場規制されており、あくまでも礼拝目的で使用することは一切できなくなっていた。

結局何の丸焼きだったんだろう。


 この日の昼食はモスク近くの大衆食堂でポロを食べた。本当は体力が相応に奪われていたので、大人しくラグ麺を注文したが、中文すら難しい地域ではこういう間違いもよくある、仕方ない……。プロフは鶏ほどではない大きさの丸焼きが乗った特徴的なプロフで、流石に完食とはいかなかった、こういう時一人旅は大変だ。

骨董街。

 申し訳無さを感じつ店を後にして再び街歩きに戻る。少し味のある路地の中に足を進めてみると、偶然にも骨董街に突き当たった。どの旅行地でも必ず骨董街に足を伸ばす自分にとってはなんとも言えない幸運。早速吸う店舗を見てみると他の都市との大きな違いに気付いた。
 ここの骨董街には文化大革命期のものを扱う店が殆どないのだ。中国の多くの骨董街では大体文革期の骨董が多く並ぶ。容易に手に入りやすく取引も盛んなのだからだろう。しかしカシュガルの骨董は、どれもがシルクロード交易の品々を思わせる骨董ばかり。チベット仏教系のものをちらちら見るのは、モンゴル帝国の遺物なのだろうか。

なんでしょうこの瓢箪…?

 骨董商に話を聞いてみると、文革期のものは「あまり売らない方がいい」というのがここ一帯の認識なのだという。また多くのものは北京などの大都市か、イリ・カザフ県などにあり、少なくともカシュガルのような街にはもう存在しないと教えてくれた。私の知り合いの方の話によると、カシュガルは以前かなり規模の大きい古書店街などがあり、イスラム教の古い写本なども扱っていたと言うが、再開発の名目でそれは一掃されたという。骨董は歴史の砦だと考える自分にとって、カシュガルのこの出来事には感じるものも多かった。

アパクホージャ墓と干し葡萄

アパクホージャ陵墓。

 骨董市を後にして、昼下がりの老城から郊外のアパクホージャ墓へと向かう。広い入口に入ると。典型的なイスラーム陵墓建築の堂と、その前に広がる水路がなんとも美しい。オアシス都市というのは細部に至るまで、水が貴重な砂漠の中にあることを忘れさせることを実感する。
 撮影禁止の陵墓内に足を踏み入れると、今までの熱気はすっかり影を潜め、薄暗く広いドーム状の空間にはひしめき合うようにアパクホージャとその親族の墓が安置されていた。

バザール。

 陵墓を後にして、旧市街にほど近い外縁部にあるバザールに向かう。ここのバザールは全く観光化されていない売買市場で、ウイグル人が作ったペルシャ絨毯や、ウイグルの名物である干し葡萄やナッツなどが観光地よりも安い値段で手に入る。

 ここで働く高齢の店主の多くは中国語をあまり解さない。なので会話の殆どは身振り手振りに僅かな中国語という形になるが、これがまた面白い。ここ最近忘れかけていた「海外にいる」という感覚をいい意味で思い出すことができた。

干し葡萄など、新疆の特産品が売っている。

 結局ここのバザールでは赤ブドウで作られた干し葡萄を買うことにした。一般的な干し葡萄の数倍はあろうかというこの干し葡萄は、とても濃厚な味がして、しかし干し葡萄とは思えないほど瑞々しい。これこそが砂漠のなせる力なのかと驚かされた。

作られた街、壊された街

奥にあるのが高居民台。

 バザールからカシュガル老城に向かう。一人乗りのバイクタクシーに揺られると、普通の車と遥かに違って街がすぐそこに見え続けているのがとても良い。バザール沿いで果物や飲み物を売っている屋台をどんどん背にして、カシュガル老城まではわずか10分程度で着いた。

 到着前、老城の向かいに高居民台というウイグル人の伝統的な家屋が並ぶ地区の横を通った。しかしその地区に人の姿は一切なく、区画一帯が柵で覆われ、中には重機と取り壊し中の廃墟がひしめき合っていた。作られた地区と、今正に破壊されんとする地区が並び、それをだれも気にしない光景は、違和感を通り越して恐怖さえ感じた。

細微な模様に惹かれ思わず買ってしまった。

 カシュガル老城はまさにシルクロードのオアシス都市と聞いたら人々がイメージするような世界が広がっていた。私のホテルが有るエリアよりも大きいここは、多くのお土産品などを扱い、中国人観光客で賑わっていた。今日がウイグル旅行最終日なので、なにか良いお土産でもないかと探しているときれいな飾皿の店に突き当たった。どうやらこの辺のウイグル族による特産品だという皿は、とても異国情緒が豊かで思わず買ってしまった。

 ──しかしそれにしてもこの地区はとても"綺麗"なのだ。中国の地方都市にあるような少しザラッとした生活感は一切ここにはない。もちろん人が住み生活音や生活風景は垣間見えるが、それらは全て老城内の店から流れる民族音楽にかき消され、あるいは都市の風景に違和感なく溶け込む。正にテーマパークのようなこの地区こそが、中国共産党の志向する"民族多様性ある少数民族自治区"なのだろうか。──

夜めき始める老城の屋台。

 おみやげ探しに夢中になっていたら、やっと日が落ちかける午後9時半を過ぎていた。夕食に無事ラグ麺にたどり着き、店を出ると丁度域内のバザールや地区がきらびやかな灯を纏い始めていた。

夜になっても人通りは絶えない。

 とはいえ時間は午後10時。一旦ホテルに戻って夜の散歩に向かう0時頃になると、まだ日が落ちて2時間も立っていないのに多くの店は閉店作業に入っていた(商売っ気の強い商人は声掛けをしているが)。結局街をぶらついて、ウイグル特産のビールを1本買い部屋に戻る。

 ──部屋の外にはちょっとしたテーブルセットがあり、カシュガルの夜風を浴びながら休憩できる。外から聞こえてくるのは中国音楽とは似つかない独特な生演奏。それを聞きながらビールを煽り、夜風にあたるこの時間はなぜ有限なのか。夜も深まる午前1時のカシュガルだった。──

祈りなき街に祈りを

当局により封じられたモスク。

 最終日。まだ開店準備をしている老城の中を通りながら、空港へ向かうタクシーを拾う。カシュガルにもなると北京時間から3時間遅いので、10時頃であっても営業している店は少ない。まだ起き始めた街を歩いていると、老城内の小学校横にモスクがあった。しかしこじんまりとしてよく見ないと気づかない小ささのモスクの入り口は、当局により厳封されていた。

 タクシーに乗り空港へ。空港の滑走路にはまだ中国でも数少ない軍用機などが並び、ここが重要な軍事基地でもあることを実感させられる。

天山山脈。

 定刻になり飛行機に乗り込む。最後までアザーンすら聞こえなかった祈りなきイスラム教徒の民族自治区を後にすると、砂漠の向こうに天山山脈が広がっていた。



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