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内蒙古──変わる支配者、変わらぬ大地

 中国は共産党が指導する社会主義国家ということもあり、5月1日のメーデーを中心に大型連休が組まれている。多くの中国人はこの機会に旅行に出かけており、私も学生向けツアーで内蒙古自治区の草原と砂漠を訪れることにした。

朝4時、トラブルにて

フフホトも少し郊外に出るとどこにでもある田舎だ。

 内蒙古は中国の北西部にかけて位置する広大な民族自治区であり、多様な自然が同居していることでも知られている。遊牧民族の残り香を感じる草原に、オリエンタルな空気を運ぶ砂漠の2つを2泊3日で見ようというのは、なかなかに中国人の生命力を感じるツアー日程だ。
 
 朝4時、安いツアーほど時間間隔がおかしいのはどの国だろうが変わらない。大学を出たバスはもう一つの大学を経由して7時間のバス旅という事になった……のだが。高速道路に乗ったときからどうにも様子がおかしい、後方の通路下からいよいよ焦げ臭い匂いがした時、バスは路肩に停車し運転手が様子を探る。十数分後、運転手がエンジンの故障を添乗員に報告したことにより、交代のバスが来るまで待つことを余儀なくされた。

 そして、当初40分で来るとされた2台目のバスも途中でエンストして脱落。結局3台目が来るまで2,3時間ほど何もない高速道路の路肩で暇をつぶすことを余儀なくされた。

 大幅な遅れを持って出発したバスは、最終的に4時間の遅れをもって内蒙古の首府であるフフホト市に到着。市郊外で午後3時に遅めの昼食タイムを過ごした後に、都市部を離れてゲルが有る草原へと向かった。

草原と乗馬、遊牧の残り香を感じて

草原と木々、すべてを影に変える内蒙古の夕日

 やっと到着した草原には何頭もの馬が控えていた。遊牧民族と言えば馬と言わんばかりの乗馬体験をするプログラ厶だ。自分が乗ることになった馬が白馬になり、白馬の王子様ではなく白馬の将軍様になった自分は、内蒙古競馬11R「チンギスハン賞」へゲート入り。

 実質ダートコースの内蒙古競馬場の特徴はなんといっても沈みゆく太陽だ。草原とゲル、枯れ木が見える自然の奥に沈む太陽は、我々が大陸国家に来たことを改めて実感させる。おおよそ30-40分くらいの超長距離レースをなんとか一着で制し、夕食と相成った。

キャンプファイヤーとゲル、そして変わらぬ星景

かつての遊牧民族も、ゲルと共にこの空を見たのだろうか。

 夕食自体はモンゴル料理と言うより、中国北西部の特徴的な料理を集めたというきらい。前のステージではこれまたいかにもな民族衣装を包んだ蒙古族らしき人による馬頭琴の演奏や、ホーミーが披露されていた。因みに一番盛り上がっていたのは、日本ではおなじみジンギスカンの歌唱だ。お前それはモンゴル伝統ではないだろう。

 夕食後は自由解散かと思いきや、外のライブステージ的なところでだいぶ自由にキャンプファイヤーとイベントが開かれていた。このあたりは学生ツアーならではとも言えよう。解散後、各人はそれぞれゲル式の部屋に通される。

 ──ゲルから歩いて数十秒もしないうちに広がる一面の大草原。そして空にはいかような人工的な夜景も敵わない、満天の星空が広がっていた。星空を眺めながら、その優麗な星の数々を慎重にカメラに写す。しかし写真というものは無透かしいもので、どのように頑張ろうとも、この星の美しさを余すことなく伝えるは不可能なのだ。──


YAKUDA 砂漠に駆ける

観光の為に列を組むラクダが、かつてのキャラバンを彷彿とさせる。


 翌朝、4月末とは思えない寒さの中、バスは今度は砂漠に向け出発する。この一連の施設の出口に「中華民族として中国語を習得しよう」なる内容の看板が印象的だった。

 相変わらず長距離を走るバスは昼頃に内蒙古の銀肯塔拉砂漠に到着。国家AAAA景勝区ともあり、ここ一帯では有名な観光地なのだろう。世界一長いとの異名を持つ、スキー場のものを少しだけ良くしたようなリフトで砂漠の中に向かう。それにしても片道30分、長いというレベルではない。

 リフトに揺られ20分もしていくと、眼下には低木すらなくなりいよいよ一面の砂漠が広がり始める。リフト御野場の出口から砂漠に出ると、そこは砂漠を生かした屋外テーマパークのように、幾つかの乗り物でアクティビティが楽しめるようになっていた。

 まずは一番の人気であるラクダの騎乗体験から。ラクダは馬と異なり背が比較的高く、馬よりも自信を安定させるものが少ない。なので比較的スリリングなのだが、一方でやはり砂漠におけるラクダの力強い前進力と大人しさ、体力や荷物の収納力は目を見張る物があり、交易上の運搬手段として重宝されるのも頷ける話だ。

 ラクダを降りたあとはバギーに乗ってみる。一応乗るには運転免許証が必要とのことだが、日本の免許が有ると伝えたら何も確認せずに通してくれた。簡易的なバギーなのでアクセルとバック、方向転換しか出来ない。砂漠の中に作られたコースはさながらマリオカートに出てきそうな感じだが、いざアクセルを踏むとコレまたスリルがあってとても気持ちがいい。おおよそ20分くらいの乗車の後、あまり日本ではできなさそうなワイルドな経験ができた。

フフホトの夜、垣間見える支配者

フフホトは蒙古文字の表記が義務だが、扱いは以前ほどではない。

 その後も色々体験しつつ集合時間に。今日はこのあとバスでフフホト市内のホテルへと向かう。夕日が水を張ったばかりの田畑を照らし、どことなく日本を思い出しつつ、夜半のネオンが眩しい市内へ到着した。

 ──フフホトは蒙古族が多いこともあり、少数民族政策の関係で殆どの建物にはモンゴル文字が併記されている。しかしながら今回の訪問で目立ったのは、中文しか併記しない共産党関係の看板や広告、商店でさえも中文表記のみということがあった。かつての少数民族を重視した開明的な中国も今は昔ということなのだろうか。──


蒙古の遺産、今は"中華民族"の遺産か

習近平主席のありがたい言葉が一番大きく展示される内蒙古博物院。


 最終日、今日は恐竜展示などがなされている内蒙古博物院を見学。省の規模に似つかわしくない巨大建造物、そして博物館の入り口に記された党中央のお言葉が、以下に党と国家がこの地域に投資し、新たな主になったかを物語るようであった。

 博物館の展示はとても多彩だった。恐竜化石の展示では以下に内蒙古が世界的に優れた化石の発掘地で、どのような役割を担ったかという視点も垣間見えた。また歴史展示では内蒙古で花開いた文化や欧州世界の文化の受容などにも触れつつ、最後は清王朝の版図として収まるまでを描いていた。他方、この地方の歴史を語る上で重要なチベット仏教の展示が少なかったことが気になった。

山脈を貫く高鉄。


 内蒙古旅行の帰り道。かつてこの大地を駆けていた馬に変わり、高速道路が引かれ、そして帰りの車窓からは長大編成の客車列車や山を貫く直線的な軌道の高速鉄道を見た。これらはすべて新中国建国後に、共産党による投資の産物であり、ここの支配者が交代したことを如実に物語る。しかし一方で、この土地では今もきれいな星空や雄大な砂漠、未開の草原を眺めることもできる。

 中国ではかつて皇帝は空間と時間を支配できるものだとされていた。しかしこれをみる限り、どのような支配者であっても、このような事物を消し去ることは出来ないし、真の支配ということは決して不可能で、変わらぬ大地は今日も横たわる。


 


 

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