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それを言っちゃあ、お終えよ!

1.人生で何をしようがどうでもよい

あなたが成功しようが、破滅しようが、世のため人のために生きようが、犯罪者になろうが、人に尊敬されようが、嫌われようが、愛する家族と暮らそうが、一人孤独に山暮りしようが、大会社で出世しようが、窓際族になろうが、有名人になろうが、なんのとりえもなく平凡に生きようが、周囲からつまはじきされようが、多くの人を助け後世に名を残そうが、詐欺師として生きようが、子供たちに慕われる先生として生きようが、異性を追い求めて快楽におぼれようが、禁欲主義者として自分を律して生きようが、障碍者として不遇な人生を送ろうが、才能豊かな芸術家として多くの人に影響を与えようが、なんのとりえもないそこいらの人として世間から忘れられようが、容姿端麗で周りからチヤホヤされて生きようが、戦争指導者として多くの人を殺そうが、虐げられた多くの人を勇気づけ独立戦争を導く英雄として生きようが、一途に一人の人を愛し貫く人生を生きようが、人それぞれ、子供を愛し家族のために生涯を捧げようが、己の欲望に忠実に生きようが、なんの考えもなくただ周囲に流されて生きようが、大事故で片足を失おうが、肥満に悩まされダイエットに励もうが、

そんなことはたいしたことではないのです


我々の本体である魂からすれば

すべて予定通りあの世で設定済みのことが起きているだけなのですから

それを自分の頭で良いだの悪いだの、いまいちだの、ああすればよかっただのとやっているだけなんですから

ましてや、人類史5万年としても一人の人間はおよそ1000回近く、輪廻転生を繰り返し、いろいろな惑星で、いろいろな場所で各時代でいろいろな人生を経験してきているのですから

2.どう感じたか?

ただ一つだけ魂がこだわっていることがあります

それはその人生体験でどう感じ、何に気づいたか?ということです

その体験を選んできたのにはそれなりの理由があるはずです

体験がいいとか悪いとかは頭のつけたし

その体験でどんな感情をいだき、何に気づいたか?

感動したのか?うれしかったのか?悲しかったのか?嫌悪感でたまらなかったのか?辛く苦しかったのか?爆発するような歓喜につつまれたのか?死ぬほどつまらないという退屈感でうんざりしたのか?怒りが爆発したのか?煮えくりかえるような憎しみがわいたのか?ワクワク感で満たされたのか?絶望の淵に追いやられたのか?不安と恐怖に怯えたのか?静かな平安に安堵したのか?なんとなく落ち着かない違和感に胸騒ぎがしたのか?相手にされない見捨てられたような悲しみか?やっと認められたという満足感か?わかってもらえない悔しさか?優越感か?劣等感か?自責の苦しみか?他責のうすっぺらい安心か?裏切られ傷ついたプライドか?切ないばかりの執着心か?いてもたってもいられない後悔か?やりとげた満足感か?馬鹿にされたくやしさか?しのびよる虚しさか?自分が不甲斐ないという嘆きか?なんにもしたくない倦怠感か?何気ないことに感じたちょっとした喜びか?ひそかに湧いてくる嫉妬心か?投げやりな自暴自棄か?相手を比較して一喜一憂する心か?相手を見下す傲慢さか?無条件で尊敬する憧れか?困難に立ち向かう勇気か?素直さか?謙虚さか?正直さか?無垢な心か?失望した時の無念さか?

3.人生の真の目的とは?

感情体験と気づきこそが魂の求めるところ

何故って、それはすべて「」へと収斂されていくから

神なるものにより近い魂、潜在意識は人生の本当の目的を熟知している

だだこの神なるものの本質、人間の本質でもある「」を体験し

愛を知るために愛でないものも感情体験しないと

愛はわからない

仮にその感情体験を十分せずに現実から逃げると、また同じような現実を体験させられることになる

辛い体験を味わう前にだれでも逃げ出したくなる

その辛さを感じ味わい、その感情を解放してあげる、つまり赦してあげることが寛容につながり、無限の愛、無条件の愛へとつながる

こうして幾多の感情体験を通して人格としての愛を深めてゆくことが、神なるものに近づくことであり、人生の真の目的ともいえる







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