見出し画像

不安がある。だけどワクワクしている。

どうも。

私は今、スーパーでパートとして働いている。

就活特有の雰囲気に気持ち悪さや居心地の悪さを感じ、大人になることを拒んだ私は、大学を卒業してからも元々アルバイトとして働いていたところで働いている。

3月くらいで辞めて社会人になることが普通と思われるこの社会で、そんな社会に適合できない私を雇い続けることを決めてくれたパート先にはとても感謝している。

アルバイトと違ってパートは嫌なことも増える。拘束時間も増える。それでも雇ってくれたから、と一旦決められた契約満了の日まで働こうと思っていた。

だけどそれをやめてしまおうと思っている。スーパーは12月〜年始が特に忙しいので、そこまでは働いて、その後すぐに辞めるつもりだ。

まだ責任者の人たちには話していない。なんと言われるか分からないけれど、自分で決めた日に何とか辞めたいと思っている。

こんなことならどこかの会社の正社員にでもなっておけば良かったかなあ、とも思うけれど、どうせ従順な社会人の仮面を脱ぎ捨てたくなって1年と経たずして辞めていただろうからこれでいい。

辞めようと思ったきっかけは、先月ごろから責任者が変わったことにある。前任者(以下Aとする)が帰ってくることになった。

Aは私を雇ってくれた人で、最初はとても良い人だと思っていた。普通に接客しているだけなのにめちゃくちゃ褒めてくれるし、こちらが忙しい時はすぐに手伝いに来てくれる。

だけど、途中から「この人は人間の善意に漬け込むのが上手い人か?」と思うようになった。私は人から、特に先輩や目上の人から何かを頼まれるとやすやすと断ることができない。「みんな頑張ってくれているから」「あなたを頼りにしてるから」と言われると余計にできない。

Aはそういう人だった。一度人の嫌なところに気づくと嫌なところが目についてしまうようで、Aから見えない圧を感じるようになっていた。Aが近づいてくるだけで何か言われるのではないか、怒られるのではないかとビクビクしていた。

その後責任者が変わり、後任者の代になるとそんなこともなくなった。まあ後任者は後任者で良くないところもあるのだけれど、そこまで語る必要はなかろう。

その後任者が去り、Aが帰ってきた。噂によれば、前の勤務先で心身共に疲れてしまったことがあったようで、もしかしたら以前とは変わっているかもしれないと少し期待していたが、何も変わっていなかった。

それはそれで嫌なのだが、もっと嫌なのがAと先輩の一人(以下Bとする)の仲がとても良いことだ。

例えば、サークルの男女数人で遊びに行ったとする。同じくらい仲が良い数人で遊びに来たはずなのに、何やら男性の先輩と女性の後輩が異常に仲が良いように見える。時々二人の世界に入り込んでしまっていて、こちらは何だか気まずい空気を感じている。

そういう感覚をAとBを見ていると感じる。群れたり馴れ馴れしくしたりすることが大嫌いな私は、見ているだけでイライラしてくる。てめえら二人でやってろ、公私混同するなよ、と思ってしまう。

それだけで十分に辞めたい理由にはなるのだが、もう一つ大きな理由がある。

それは、もう一度きちんと言語を学びたくなったからだ。

今年の3月まで外国語系の学部に所属していた私は、英語と中国語を専攻していた。中学の頃から英語に興味を持ち、2年前には留学にも行った。

それにも関わらず、ほとんど外国語の勉強をしなくなってしまった。もったいないな、とは思っていたけれど、そこまでだった。

だけどこの前、外国人のお客さんが来た時にお釣りはいらないと言われたことがあった。Too smallだから必要ないとのことだった。その時、英語が話せないパートさんと一緒だったのだが、私は「No, No」と言うことしかできなかった。

結局お客さんの方が折れてお釣りを持って帰ってくれたのだが、とても悔しくなった。お客さんが帰った瞬間に「We can't receive.」と言えば良かったと気づいたのも余計に悔しかった。

曲がりなりにも外国語系の学部を卒業している私が、たった一文を話すことすらままならないとは、なんて情けないものか。

だからきちんと外国語と向き合いたくなった。英語や中国語を見て理解し、聞いて理解し、話せるようになりたいと思った。

半人前の私は、感情に任せて低俗な日本語を話してしまうことがあるのだが、それをずっとやめたいと思っていた。だから日本語も学び直そうと思っている。

パートとはいえ仕事をやめるなんて、もちろん不安だ。今でも死にたくなることがあるし、全て投げ出して誰も知らないような土地に逃げたくなることもある。不安やストレスで喉がつっかえて苦しいことだってある。

人生設計だけではない。お金や人間関係、生きているだけで悩みは尽きない。

だけどワクワクしているのだ。知識が増えれば、歩く度に地図が更新されるRPGのゲームのように、見えなかった景色が見えるようになる。

自分がしたかったことはきっとこれなんだろう。色んな職業や会社を見ても納得できるようなものが見当たらないのは当たり前だ。私のしたいことは一言で言い表せるようなものではない。

今まで何とかなってきてしまった人生だから、これからも何とかなると思っている。

最終的にどう頑張ってもまかり通らなくなってしまったとしたら、若くしてでものたれ死ねばいい。それはそれで趣深い人生ではないか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?