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勉強はすぐに役立つものではない

大家好。
中国語が大好きな日本人の小兔子(うさぎ)です。

今日はふと思ったことを書くコーナーです。

子育てをしているので他のママさんから聞く子育ての悩みを
自分だったらどうするかな?と考えることが時々あります。

最近あったママさんのお悩みが
中学校に上がった思春期の息子が
「勉強ってなんのためにするの?」と聞いてきた時に
どう答えてあげればよかったか、という悩みです。

子供も気がつけばだいぶ知恵がついてきて、周りの状況を見ていると
学校で習ったことが職業の役に必ずしも立っていないことに
気づいてしまったようです。

親としては、学校で習ったことが将来役に立とうが立たまいが
とにかく学校に行って、勉強頑張ってほしいし
勉強するという習慣はついたほうが、ないより良いよねって
思うものだと思います。

しかしそれで子供が納得するかといえば
あまり納得しないようです。

そもそも勉強って、気力体力いりますしね。

確信をついた質問に答えるのってなかなか難しいものです。
そして子供はちゃんとみてるし、知りたがる生き物です。

私だったらどうするかなと思ったんですが
自分の人生を振り返ってみたときに
私も同じような質問を父にぶつけたことがあったのを思い出しました。

勉強はなんの役に立つのか?

という疑問です。

小学生、中学生の私にとって
古典や漢文、訳のわからない数学、化学の記号、しゃべれない英語。
どれもこれも将来役に立つのか甚だ疑問です。


父の答えは


「勉強はすぐに役立つものではない。」

ということでした。

「仕事にすぐ役立てるものは専門学校で習うもので、学校で習うものはすぐに役に立つものではない。それが学問だ」

「それが学問だ。」

ドキー!!!

響きがすでにかっこいい。


でも私は静かに心が楽になっていったのを覚えています。

そして、私は役立つか役立たないかわからないのが学問であるならば
いまここで「これは役に立つのか?」という疑問を
もう持たなくてもいいということに気がつきました。

子供の私に実際どれが将来の役に立つのか
わからないのだから
いまから選別したってしょうがないじゃん!
って思えたのです。

だから今は目の前に与えられたものを
ただやる。
それでいっか、と思えば
心が楽になったのです。

そういえば
「われわれはなんのために生きているんだ?」
という質問にも少し似ていて
答えは、いますぐには出ないのです。

もしかしたら自分が死ぬ瞬間に
「私が生きていることで少しでも誰かの役に立ったかもしれない」
と気づくだけなのかもしれません。

学問においては、死ぬ瞬間まで待つ必要ななくて
私自身、確実に学問が役に立ったと思う瞬間がこれまで何回かありました。

20代の頃に起きたピンチを学問で切り抜けたことがあるのです。

学問はピンチを救ってくれることもあるのです。

自分の子供が
「勉強ってなんのためにあるの?」
と聞いてきたときには
そのことは伝えたいなと思いました。

学問はすぐに役立つものではない。
だが、必ず役に立つ。




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