文化と生活

去年にこんな文章を書いたことを思い出した。

まだまだ能天気だったなあと思う。

その頃は、フェスもライブも「当分無理だろうな」という気持ちで、でも生き抜くために必要な我慢であるということも、リスナーとしての自分は納得していた。

実際、今の自分もライブ会場に足を運ぶことができない。あらゆる「もしも」を考えると、オンラインで視聴することが精一杯のアクションになっている。もちろん、ライブじゃなきゃ感じられない高揚も熱気も興奮も知っているから、結構おかしくなりそうではある。でも、やっぱり会場には行けない。

今回の愛知のフェスのニュースを見て、あらためて「文化とお金と生活と感動」について考えている。

感染予防対策が整っていれば、大きいフェスはやってもいいのだとしたら、愛知のフェスってどうやったら止めることができたのだろうか。

五輪で世界中から人を呼び集め、巨大な催しが成立してしまった以上、フジロックが「感染報告ありませんデシタ」ということで音楽フェスの完走を成立させてしまった以上、どうやったらこの事態を未然に防ぐことができたのだろうか。

客に向かって語りかけるAwichは、どんな思いでフジロックを眺め、このイベントに臨んだんだろうか。舞台の上でどんな気持ちで、どんな思いであのMCをやったんだろうか。考えるだけで、胸が張り裂けてやるせなさと悲しみとちょっとの呆然が入り混じった、ぐちゃっとした感情で心が血飛沫を上げて粉々に飛び散ってしまいそうになる。

ヒップホップというジャンルに帰着したスティグマみたいな議論が起きているけれど、じゃあフジロックにでたサミットやフレシノはOKなのにAwichやBAD HOPはダメなのか?というのが、ヒップホップという音楽ジャンルがこの事態を引き起こしている、という論理を破綻させているように思う。

お客の層についても、フジと波物語でくっきり分けられる問題なんだろうか。それでいうなら、SuperSonicも相当危険なんじゃないだろうか。と、学生時代にEDMのフェスに通っていた私は思う。運営側の仕掛けや意識はフェス全体の状態にかかってくると思いつつ、大きなフェスを今年にどうしてもやらないといけない理由はどこにあるのだろうか。

それは、お金だし生活だと思う。ビジネスとしてフェスをやっている以上、フェスが行われない日々が続けば、運営に従事する人たちの生活は保障されない。必然的に困窮し、無理にでも開催をしなければ、彼らの生活は破綻してしまう。もちろん、アーティストも同様に、生活のためにパフォーマンスをしなければ生きていかれない可能性だってある。

そうして、大量感染の危険がある、スーパーリスキーな駆け引きをしなければいけないほど、そうせざるを得ないと判断するしかないほどの状態に追いやっているのは何なんだろうか。

どんなにノリで生きてる人でも、4年に一度しか行われない世界規模のスポーツ大会がなしになって、他のでかいイベントも出来なさそうとなった時に、きちんとした補償があるよ、大丈夫、落ち着いた頃にまたイチからスタートしましょう、というプロテクションがあって、例えばワクチンを2回受けた人だけが参加できるよ、みたいな全員がクリアに共有できる規定が用意されていて、判断に迷う誰もがそのサポートの恩恵に預かることができる、と心から信頼できていたら、こんな無茶苦茶だって起きなかったんじゃないだろうか。

五輪開催の不確かな安全性を正当化し、そこに国民的フェスが続いてもっともらしく正当性をさらに強め、結果、周縁にある文化が誤った手法で失敗したら首ごとざっくり切り落とす。迅速さにおいては他に類を見ないSNSに溢れかえった主に出演陣への酷い言葉の数々は、当事者だけでなく、他のアーティストやリスナー、他業種のエンタメにも響き渡っていく。矢面に立った人物だけじゃなく、あらゆる市民が精神的なダメージを受け続けなくてはいけない。

むろん、感染者やその家族・知人たちは憤る。感染を恐れる大衆も怒る。やるせなさと、間近に迫る命の危機と、現実を全くわかっていない結果に起きた光景に怒らざるを得ない。その的に立つのは、規程や規制を明確に構築してこなかった責任者ではなく、例えば安易にアクセスしやすいアーティスト個人のSNSアカウントになってしまっている。

最低限度の文化と生活を守るために、必要なのはお金だけじゃない。もちろん体の健康も。そして、心の健康も必要。ライブで、アーティストと客の距離が近くて、とってもワクワクする瞬間が私は好きだ。でも、今じゃないんだ。今、熱のこもったライブ会場に行ったとしても、私は手放しで感動できないんだ。

ライブに出ないことを詫びる折坂の文章も、ライブに出て傷つくAwichの姿も、もう見たくない。満面の笑みで、演奏とリスナーが一体化する瞬間を心から楽しみたい。だから、必要なのはサポートだし、システムだし、方向性だと思う。

私たちの健康で文化的な最低限度の生活を保持するために、私たちの声になって、私たちが納める税金を握る大人たちが、それらに目を向けなかった結果起こっているこの地獄みたいな世界の光景が、心から許せない。

誰かが、どんな原因であっても、死ぬのをこれ以上見たくない。