二日酔いの短い言い訳

二日酔いってこんなに辛いものなんですか。

お酒が弱いので、そもそも二日酔いになるほど量を飲めない。なので、翌日起きた時にうぅ。となる感覚がよくわからなかったけれど、今日はその辛さをとことん味わった。

昨日だってたいして飲んでないのに。瓶ビールを二人で開けて、私の方がちょっと多く飲み、あとはそんなに濃くないハイボールを二杯だけ。その後アイスクリームを食べていつも通り帰った。いつもと違ったのは、お店で煙草が吸えるというのでそこで買ったタールがちょっと重い銘柄のやつを2、3本吸ったくらいだ。

目が覚めた。最寄りのコンビニに寄ったあと家に着いて、暖房をつけて、ズボンを脱いだままベッドで変な姿勢で寝ていた。まだ外は暗くて、頭が妙につんつん痛い。頭以上に変な形になっていた右脚が痛い。酔いはまだ覚めていなくて、ぷわぷわしている。テレビをつけて冷凍庫からさっき買ったアイスクリームサンドを取り出し、不安なニュースを眺めながらアイスをかじった。

友達に連絡を送り、返事が来ないことに気を揉みながらベッドに戻る。既読もつかないのは当たり前で、まだ4時を回った頃だった。そのまま6時近くまで、眠たいのに眠れない状態が続く。むくんだ顔が熱をもってとても不快だった。1ヶ月近くお酒を飲まないと、こんなことになるのか。ぼさぼさになった髪の毛先から嗅ぎ慣れない変な臭いがして、また気分が悪くなり、仕方なくベッドを離れてシャワーを浴びる。ふわっとした蒸気に包まれて少し安心しながらバスルームを出て、頑張ってドライヤーで髪を乾かし、友達から連絡が返ってきていないことを確認してまたベッドに戻った。

次に目が覚めたときにはとっくに正午を回っていた。昨日ほどむくみの辛さは残っていなかったけれど、こめかみのあたりに嫌な感じの違和感が残っていた。3時間くらい前に、友達から無事を伝える連絡が入っていた。電子ケトルでお湯を沸かしてコーヒーを淹れようとしたけれど、お腹が何も受け付けないぞと主張してくる。とりあえず水道水を汲んで一口含み、カピカピになった唇と口内を潤した。ものすごくだるい。

昨晩、一緒に飲んでいた友達とは、その前に映画を観に行った。私が今の家に引っ越す前までは近所にあった、お気に入りの映画館だった。こんな状況でも空席がほとんどなくて、驚いた。音がいいタイプの上映をみて、2度目だった彼女と感想を共有しながら、以前よく通っていたおでん屋さんを訪れた。そこで彼女と、いろんな話をした。

彼女の母親は私と境遇がよく似ていて、話を聞いていると面白かった。母親が娘に対して思っていることを、何となく私も理解できたからだった。そのうえ、彼女が感じていることもよくわかったので、悩みや葛藤とは言わないけれども今抱えている気持ちのようなものが、うっすら見えてきた。「自由であろうとさせられているのは、自由じゃないのかも」。彼女の言葉はとても心に残った。心に残ったので、忘れないように文字に残しておきたいなと思った。

まともな二日酔いデビューを果たした今日は、無理やり身支度をして散歩に出掛けることにした。スーパーで食べられそうなものを適当に選んで、いつもよりちょっと遠回りで帰った。いつの間にか頭痛は消えて、少しだけお腹も空いてきた。家に戻ってから缶詰の煮豆をフライパンで温め直して、適当にトマトを刻んで乗っけて食べ、映画を一本観てお風呂に入る。今度は湯舟をためた。体を温めてお風呂を上がり、水を飲みながら録画した番組を再生した。

ピカソの『ゲルニカ』を8Kで読み込み、原寸大で日本国内で展示するプロジェクトで、色々な立場の人がゲルニカを見ていくという内容だった。番組を見ながら、昨日のことを思い出す。呪術廻戦から派生したキャンセルカルチャーと大義について話しているなかで、友達は美術史とピカソのことを挙げていた。

ゲルニカの本物を見てみたいなあと思った。私たちが戦争や災害の事実を知るのに、アーカイブはとても重要だ。数値や口伝、ドキュメンタリーは、事実を写実的に表すからもちろん大切だけれど、その定性的な恐怖感や悍ましさを伝えるのに、あの大きさで、ピカソが筆をとったということが改めてどんなに重要だったのか思い知らされた。番組では、その主題をまだ聞いていない子供たちがそれぞれの第一印象を話し合っていく。大画面の迫力に圧倒されつつ、細部への気づきを口にする彼らに敬服してしまった。大画家の傑作、という題目は、ゲルニカが包有するメッセージを誰かに伝えるのにそこまで必要ないんだ、と気づけた。

夢が叶うなら、昨日飲んだ友達とゲルニカを観に行きたい。彼女が今後どんな未来を歩いていくのかは分からないけど。すべてのことに気づこうとしながら毎日を生きていくのは結構苦しいけど、私はそうしたいからそうするしかないんだって言っちゃった気がする。我ながら何様か。でも、彼女がこの後も自分の選んだ道で生きていけたらいいなあと思う。この祈りを以って、はじめての二日酔いは決して無駄じゃなかった、ということにする。