東日本大震災の時、中国に留学してたので振り返ってみた
2011年3月11日。
もうあの日から13年も経ってしまったんですね…。
日本中を揺るがした大震災のあの日、実は私、中国に留学していて日本の様子を全く知らないのです。
写真フォルダを見直していたらその時の写真を発見したので、その写真を使いながら中国はどんな様子だったかを紹介します。
(津波などの写真、映像がありますので、見たくない方は見ないようにしてください!🙏)
3月11日は金曜日だったので普通に授業がありました。
授業の最中に誰かが「日本で震度7の地震が起こったらしいぞ」と騒ぎ始めました。
それを聞いた時、私は愛知出身なので長年言われてる東海地震がついに起きてしまったのか!?と、まず思いました。
すると今度は別の人が「東京で震度7らしいぞ」と騒ぎ始めました。「東京でそんな地震が起こったらヤバいんじゃないか?」と思い授業が終わったらすぐに部屋に戻りテレビをつけました。
ニュースでは既に日本の地震について放送してくれており、そこで初めて東北で地震が起こったのだと認識しました。
津波の映像も流れていました。
それまでにもスマトラ沖地震などはありましたが、津波については高い波が襲ってくるくらいのイメージしかもっていませんでした。
それが、人や車を次々と飲み込んでいく映像が流れて…
異国で見る異郷の震災はリアル感が全くなく、友達と呆然としながらテレビを見ていた記憶があります。
中国のテレビは日本と比べるとかなりチャンネル数が多く、私はいつもCCTV13というニュースがメインのチャンネルばかり見ていたのですが、朝から晩までひっきりなしに東日本大震災大震災のニュースを取り上げてくれました。
逆に日本でどこかの国で地震が起きた場合こんなに取り上げてくれるだろうか?
と、思うくらい本当に延々と流してくれていました。
中国語で地震は地震 dìzhèn
津波は海啸 hǎixiào
福島は福岛fú dǎo
こんな通常の授業では覚えない単語を覚える事になりました。
あの時代はほとんどの人がガラケーしか持っておらず、海外で使うとパケ死(ケータイの通信料いわゆるパケット通信料が高くなりすぎて死ぬ事)するという事だったので、ケータイは持っていっていませんでした。
家族とのやり取りはパソコンメールかSkype。
家族から東日本大震災に関するメールを貰って、本当に日本で起こった事なんだなという実感を得ました。
地震の後、中国の色んな人から「日本で大きな地震があったそうじゃないか!家族は大丈夫か?故郷は大丈夫か?」と聞かれ、非常に温かい気持ちになりました。
この頃の日中関係は日本のニュースで聞く限りはあまり良くなかったのですが、現地の人と交流してみると全くそんな事は無いなと感じました。
日本と同じで過激な人は過激なだけで、普通の人は普通に優しい。
ちなみにニュースはその日限りでは無く、その後も被災者の数、そして原子力発電所の事故などずっと放送してました。
動画も撮っていたので記録として。
このバックミュージックだけで淡々と影像が流れるのは正直いってめちゃくちゃ怖かったです。
けど、被害の甚大さを伝えるのには非常に有効でした。
ちなみに「放射能に塩が効くというデマが中国で流行ってスーパーから塩が消えているらしいが?」という情報が家族から入ったりしましたが、私のいた天津ではそんな事は無かったです(笑)
↓調べたら未だにその時のニュースが残っててびっくりしました🤣
私が留学を終えて帰ったのは6月28日で既に震災から3ヶ月以上経っていました。
私の地元は日常を取り戻していたのですが、節電の影響で昼に電車が消灯して走っていたことにびっくりした記憶があります。
帰国後、色んな人から「東日本大震災の時の揺れは…」とか「東日本大震災の時、テレビのCMが変わってヤバかった」という話を聞く度に何となく疎外感を感じましたが、逆に中国で経験したというのもまたレアな経験だったのかなぁと。
今年も元旦から能登半島地震が発生し、改めて普段の生活がどれだけ貴重なものであるかを思い知らされます。
被災地の方の生活が一刻も早く良くなりますように🙏
※ちなみにこういう古い写真を全部とっておいてあるので友達からは内藤写真庫と呼ばれています🤣(Googleドライブは個人で2TB契約中(笑))
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