2020年6月20日
【武勇伝はいらない】
終着点のわからない志望理由書の抜粋。受からないかもしれないけど、受からないならそれでもいいと思う。受かるための就活に、意味は無いから。
「挑戦」と「成長」の文字は、どちらも私が今まで追ってきたものである。この2つの言葉を改めて考え直した上で、御社で「挑戦」したいことや「成長」について話したい。
突然だが、人間の行動が変わるには、過程が必要であり、医療看護の分野では「行動変容モデル」というモデルに当てはめて考える。そのモデルにおいて過程は「無関心期」→「関心期」→「準備期」→「実行期」→「維持期」と5段階に分けられる。例えば「最近お酒を飲みすぎている、量を減らそう」という行動変容をすると仮定する。その考えが一瞬浮かんで、「まぁいいや」と思う人もいる。「とりあえず今日は少なくしておこう」と考えて次の日からまた同量飲む人もいる。数日は続くが、その後「やっぱり辞めた」と止める人もいるだろう。中には毎日続けて減らし、それが習慣化する人もいるだろう。中にはまた同量飲んで「量を減らそう」と思い減らして…を繰り返す人もいるだろう。どんな人もいるが、結局行動変容が出来たと言えるのは、お酒の量を減らすことを習慣化出来た人である。行動変容という挑戦は、それをし続けている人だけが達成していると言えるのだ。
私の今までの仕事における大きな達成事項は「英語を使用した仕事に就きミッションをこなしたこと」や「中国で中国語で日本の看護を伝えたこと」など多数あり、今までそれらの挑戦を達成した訳だが、その裏には努力と揺るぎない達成したいという欲があった。故に達成出来た訳だが、それらを武勇伝の様に話すのは恥ずべき行動だと考える。これらの挑戦はあくまで私の人生における過程に過ぎず、私の英語も中国語もその仕事内容もまだまだ改善の余地がある。武勇伝として語るのは「ここまでの成長に過ぎません」と言っているのと同じだと私は感じる。作家湊かなえはテレビ番組アナザースカイ出演時、「トンガ(王国)から帰るときこれを人生最大のビッグイベントにしたくないと思ったし、いま小説家でいることも人生最大のビッグイベントにしたいとは思っていませんし、なのでそこをMAXにしたくない。すべてが通過点だと考えています。」と話していた。全ての挑戦は通過点に過ぎない。しかし、それらの挑戦を通過点と自分が認識出来たとき、私は多分「成長」してるのだ。
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