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ファインダー越しの瞑想: 表現の手段としての写真による内省と今後学びたいこと
写真による内省
表現の手段として、写真は一番好きかもしれない。なぜなら、自分の主観がそれほど強くなくても成立するから。絵を描くとか、文章を書くって意思が強くないと成立しないと思う。そのうちAIで書けるようになるかも、だけど。
大学の科目履修で写真撮影をした時に、あなたの撮る写真はとてもドラマティックだ、と講評をいただいた。はたまた友人からは、自然の一瞬の美しさや季節の移ろいに諸行無常のようなものを感じたとコメントをもらった。
自分の意思入れは半分くらいの温度感で撮ってるのが、そういう雰囲気感を出してるのかもしれない。好みの設定とかあるにはあるけど、あと半分はカメラ任せというか、神のみぞ知る、的なところが、撮れたものを見る時のワクワク感に通じてる気がする。私にとって写真はファインダー越しの瞑想とかヨガアーサナという位置付けだ。なので、写真は表現手段でしかなく、私にとって目指すべきは別のところにある。
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今後に向けて
写真という素材はリアルすぎるので、オールドレンズやマクロレンズを使って、もっと自分の内面を表現する抽象アート的な画が撮れるようになりたいと思っている。食べ物についてはよりシズルに表現したいけど、ライティング機材使ってまで撮る!?とか思ってしまう今現在。まあ学ぶうちに変わるかもだけど。
あとは抽象表現の手段の選択肢を増やすこと。
まずは小説書けるようになりたい。仕事のライティングで出典元やエビデンスどり、掲載許可なんてことに疲れ果てているので、「これはフィクションです」って一度でいいから言ってみたい。
絵心ないけど、未来予測とかではイラストが使い勝手便利なので生成AIを上手く使いこなすとかもありかなあ。
いずれもまずは主観や意思入れの熱量と奥行きをもっと高めて解像度をあげることが課題。
今読みかけの福岡伸一さんの本にもこう書いてあるし。
大切なのは、何かひとつ好きなことがあること、そしてその好きなことがずっと好きであり続けられることの旅程が、驚くほど豊かで、君を一瞬たりともあきさせることがないということ。そしてそれは静かに君を励ましつづける。最後の最後まで励ましつづける。
そう考えると、やりたいことの妄想が止まらないということは幸せなことなのかもしれない。
内面の平和と外面との調和の追求というのは、こういう型もあるのかもしれないと最近感じている。
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