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『生きている』を実感するためにジムに行く

僕はうつ病を患っている。
うつ病と診断されたのは3年以上前のことだが、いまだに寛解していない。
毎日、発熱時のような倦怠感、めまい、吐き気、不眠、希〇念慮といった不快なモノに悩まされている。
そのうえ、今は離婚協議中で気が滅入る。

僕はうつ病になったことで仕事や趣味、家族まで失うことになった。
正直、自分の将来に希望なんて持てないし、生きていてやりたいことがある訳でもない。
鬱々として時間を無駄にするだけの日常は、〇んだも同然とも思うし、常時、不快なモノに襲われ続ける現状は、ある意味「悔いなく〇ねる」状況だ。

そんな僕がまだ生きているのは、自分の中に『生きている』ということを感じていたい気持ちが少しだけ残っているからだ。
僕が『生きている』と感じるときは身体を動かしているとき、それも肉体的に苦しいときだ。(変な意味ではない)
走ったり筋トレなんかをしたりするときがそうだ。

僕は普段、うつの治療に良いとされる朝散歩に行くこともままならない。
正直、走ることも筋トレも好きではないし出来ればやりたくない。
気が向かないことの方が多いし、外に出るのも億劫だ。
それでも、その苦しみの先にある『生きている』を感じるために週に2回、ジムに通うことを決めた。
そうした方が、何もしないで鬱々と一日を過ごすよりも、精神的に良いことに気がついたからだ。

ジム通いのきっかけは気まぐれなものだった。
たまたま気分が上向いたある日、なんとなく身体を動かしてみたくなって公営のジムに行ってみたのが始まりだった。
ジムでトレーニングを始めると、あっという間に息が上がってしまった。
まともに運動していなかったのだから当然だが、情けない。
うつ病を患って以来、僕の脳内を支配している”卑屈な自分”が「こんなことやっても無駄。キツイし辞めよう」と囁く。
だが、それをかき消すように「まだ出来る。負けたくない」という、うつ病を患って以来、抱くことのなかった感情が湧きあがって原動力となった。
こんな感情が自分の中に残っていたことも、それを力にしてトレーニングをやりきれたことも、このときの僕には信じられないことだった。

トレーニングが気づかせてくれたのは、それだけではない。
自分の限界に近づくと体中が熱く、心臓の鼓動も大きくなる。
1セット終わるたびに肩で息をするくらいヘトヘトになるし、吐き気をもよおすこともある。
これまでは「しんどいな」とか「暑いな」としか思わなかった生理現象だが、毎日〇ぬことばかり考えていたあの日の僕は、そのとき初めて自分の身体が懸命に『生きている』ことに気がついた。
身体に負荷をかけたとき、心も体も必死に抗っている。
そういう本能が働いているから僕は『生きている』。
当たり前のことなのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう。

うつ病というフィルターを通して視る世界は全てが灰色で、明るい将来や希望が見えなくなる。
だから悲観的な思考に陥り、世間から一人取り残されたように感じて絶望し、消えたいと思わせる。
だけど本能は、フィルターを外して色のついた世界で生きようとしている。
だからもし、また希〇念慮に襲われたら、本能に「まだ『生きている』のか」と問いかけようと思う。
きっと『生きている』と全身で返答してくるはずだ。

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