今日もどこかで中学生の頭の中ではデスゲームが行われている。
『少年Y』という漫画を呼んだ。
いわゆるデスゲームものだ。
正直僕はあまりデスゲームものに馴染みがない。
『少年Y』は僕が好きな施川ユウキ(ハジメ名義)先生が原作をされていたので読んでみたのだが、やっぱりというか何というかあまり好きではなかった。
というか誤解を恐れずに(という誤解を恐れた表現)いうのであれば、そもそもデスゲームものが好きではない。
よく中二的あるあるネタとして言われている「学校がテロリストに占拠されたら」とか「クラスでバトル・ロワイアルになったらこう立ち回る」みたいな妄想があるが、しかしそれらは最早そういう思春期にありがちなイタタな妄想として消費されている。
もうこれはあるあるとして要所要所で擦られすぎて、本来元ネタであるデスゲームの方が逆に「中学生の妄想あるある」になってしまったような気がして全く入ってこないのだ。
だから今後どんなに優れたデスゲームものが誕生したとしてもそれは「面白い中学生の妄想あるある」になってしまう。
これはデスゲームものに限らず色んなものにも言える。
例えば『異世界転生もの』もそうだ。
異世界転生ものというジャンルが確立して、色んなものが作られていき、最終的にはありとあらゆるものがあるあるネタに昇華された時点でそれはもう物語というよりは「あるあるネタ」を沢山入ったショートコントになってしまう。
他にはロボットアニメやセカイ系のギャルゲーとかはそうやって滅びていったような気もする。
いわゆる「お約束」「お決まりの展開」があるあるネタになってしまった時点でそこにシリアスは存在しなくなり、パロディーになるという現象はサブカルチャーの現場では避けることの出来ない自然淘汰なのかも知れない。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?