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ノンアルコール人生

休日の雨の日は何もしなくて良いという言い訳があるので、家で出来ることをやるのだが、その中に普段絶対やらないような滅茶苦茶手間のかかる「完全に趣味の料理」を作るというのがある。

今日はボロネーゼを作った。

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でん!!!!
美味しかったです。
多分一番好きなパスタだな、ボロネーゼ。
ちょっといい合挽き肉買ったし。金は正しさ。

まずレシピを調べてから買い物・調理まで含めると大体半日くらい掛かるのだが、全く苦じゃない。むしろ、何か一仕事をしたような達成感と自己肯定感を得られるし、何より時間を掛ければ掛けるほど旨いものが出来る。
これ、マジで料理の真実。

これを作るにあたって始めて赤ワインというものを買った。
まあ料理酒だけれど。

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僕はアルコールが飲めない。
味が苦手とか、すぐ酔ってしまうからとかじゃなく、体質的に相当無理な部類で飲めない。
具体的に言うと、頭が痛くなってどうにもなくなる。
心臓の鼓動の音が10倍くらいになってこめかみの中で爆音上映される。
あと抗いきれない強烈な眠気がやってきて気絶するように寝てしまう。
僕にとって酒は「痛み」「眠み」のみだけで構成されている100デメリット物質としか認識出来ない。

分かりやすい弱点だ。

かようにアルコールのメリットを1ミリメートルも享受したことのない僕なので、酔って気持ち良くなっている人間の感覚を全く理解が出来ていない。

気持ちのコントロールが悪くなって感情のスピーカーがデカくなる感じはなんとなく見てて分かる。
言葉のうえでは知っているが感覚を知らないのだ。

そして気が大きくなっている人を見ると「僕はああなれないし、あの気分に感情移入することは出来ないんだなぁ」と仄暗い引け目を感じてしまう。
だから酒の席で他よりも異様に理性的であろうとしてしまう自分がいて、周りに合わせて声は大きくなって気持ちも乗っかるが、理性のブレーキは強めに踏んでいる。そしてそんな自分に嫌気が差す。

さっきは弱点と言ったが、これはコンプレックスとも言う。
劣等感だ。劣っている。

これからもこういう理性的であろうとする自分からは出られないだろう。
ノンアルコールビールのように何も入ってない虚無な人生。
ここら辺のコンプレックスから僕の自意識の高さは萌芽したのか?

でも変えようと思わない限り、人は変わらない。
今この瞬間にだって変えられるかもしれない。
僕は赤ワインを手に取りコップの1/4くらい注ぐ。
一気にぐっと飲み干した。







おぇっ。まっっっっっず。

しかも、ここでコップにちょびっとだけ注ぐ自分のその理性も嫌だ。

じきにあの頭痛はやってくる。
こめかみから鼓動が爆音で聞こえてきたらもうどうしようもなく寝るしかない。

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