見出し画像

馨佳観察 12月8日


 生まれる場所や家族を選ぶのは自分自身だと聞いたことがある。
 それを信じるなら、俺はどういう意図を持ってあの家に生まれたんだろう……ということを、この部屋に来るたびに思う。
 先輩の部屋は学生の一人暮らしにしては十分すぎる広さの1DK。大学まで3駅の人気エリアにあり、なぜか気に入られている俺はたびたびお邪魔させてもらっていた。
 ただ、今日は他にも客人がいる。
「――という感じで、まあこんなふうにしゃべってもらうことも滅多にない機会ですから、貴重なお話を聞けて嬉しかったです」
「こちらこそ、こんなしがないおっさんの話を聞いていただいて、ありがとうございます」
「とんでもないです! 次回作もめちゃめちゃ楽しみにしてます!」
「はは、まあ、頑張ります」
「それでは今回はこのへんで。また劇場でお会いしましょう! ありがとうございましたー!」
 二人が笑顔で手を振る映像を少し長めに撮って、停止ボタンを押す。
 打ち合わせから撮影完了まで、全部で約1時間。レースカーテンの向こうでは、太陽が沈み始めていた。
「……はい、オッケーです」
 そう言うと、先輩はきらきらした目でゲストに握手を求めた。
「いやーほんとありがとうございます、滝田さんに出てもらえるなんて感激です! きっと断られるだろうなって思ってたんですよー!」
 その勢いにふっと吹き出しながら、滝田さんも握手に応える。
 先月行われた劇団公演の映像を販売用に編集するにあたって、台本を書いた滝田さんに特典映像への出演オファーをしたところ、快く引き受けてくれた。今日はその映像撮影のために、劇団主宰である先輩の家に集まっているのだった。
「まさか自分が映像に残るとは思わなかったなあ」
 白髪交じりだけれど豊かな髪が覆う首筋をくしゃりと掻きながら、目尻に皺を寄せた朗らかな笑顔を見せる滝田さん。ゆったりしたTシャツにジーンズというラフな格好も、大先輩なのに親しみやすい雰囲気を醸し出している。これで53歳。全然見えない。
「ファンからしたらお宝映像ですよ、ほんと。作品のイメージとは違う、滝田さんっていう人間を知れる機会なんてほとんどないですからね」
 すごくはしゃいでいる先輩に、俺もついつい笑ってしまう。
 バーのアルバイトを紹介してくれたのは先輩なのに、滝田さんが常連だということは知らなかったらしく、たまたま遭遇したときのあのリアクションは最高に面白かった。それから先輩と滝田さんが交流するようになって、台本をお願いしたら引き受けてくれて、実際にその本で舞台をやって、今日の映像撮影まで……どこにどんな縁があるかわからないものだということを、ひしひしと実感している。
「俺も本当に驚きました。作家さんって、表に出るのを嫌がるものだと思っていたので」
「あー、まあ、あんまり好きじゃないけどね。ほら、普段から店でお世話になっている好青年に頼まれちゃったらさ、手伝いたくなるでしょ」
「お世話なんてそんな」
「あーもうほんと紹介してよかったー! マジで感謝してる、おまえのおかげだわ!」
「ちょ、先輩うるさいっす」
「いつものことだろー? あ、そうだ、やっぱ無償出演はこちらが心苦しいんでピザ頼んでおいたんですよ! あとー……10分くらいで予定時間ですね! 酒もありますし、お礼させてください!」
 滝田さんを見ると、いいって言ったのにと苦笑している。
「ご自宅で奥様が待ってらっしゃるんじゃないですか?」
「いや、今日はいないからそれは大丈夫なんだけど……まあ、もう配達来ちゃうんなら、ありがたくいただこうかな」
 その返答を聞いて、先輩は大喜びでお酒を取りにキッチンへ向かった。
 たぶん、謝礼を断られたから何かでどうにかお礼をしたいという気持ちは本物だけれど、もっと滝田さんの話を聞きたいという下心もあるのだろう。そういうわかりやすいところは嫌いじゃないし、あの人が周囲から可愛がられる要素でもあると思う。かく言う俺も、なんやかんやで相手をしなくてはという気持ちにさせられているわけだし。
「彼、明るいよねえ」
「そうですね。たぶん、劇団関係のこと以外に悩みはないと思いますよ」
「そっか。いいことだよ。こっちは悩んでばっかりだからね……若さには勝てないなあ」
「何言ってるんですか」
 冗談めかして滝田さんを見ると、少し困ったような笑顔を浮かべていた。
 ……あ、これは、ちょっと本音も混じってたんだな。先輩がいないから。
「年を取るとね。無茶をしたくなる自分より、それをさせてくれない自分のほうが強くなっている気がしちゃうんだよね」
「そういうもの、ですか」
「うん」
 穏やかな笑みと、沈黙。
 何と返すべきか迷っていると、タイミング良く届いた先輩の呼び声に話を遮られた。早く来いと言っている。
 戸惑う俺を横目に、滝田さんは軽く伸びをしながらダイニングへ出て行く。続ける気はないらしい。つい溜め息を漏らしてしまった。
 大人の考えることは、まだ、よくわからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?