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馨佳観察 4月8日

「しっかし、今日は大変だったなあ」
 着替えを終えた店長が、首を回しながらフロアに出てきた。
 先に帰り支度を整えた俺と馨佳さんは、近所のコンビニで調達してきたつまみと缶ビールを開けている。この店では、始発が動くまでの間、こうして時間を潰すのが恒例だ。
「そうですね。永山さん、もう来なくなっちゃいますかねえ」
「ウチは変わらず来てほしいけど、他のお客さんもいたから、しばらくは足が遠退くかもな」
 二人の会話でさっきの光景を思い出す。
 常連の永山さんと、彼と一緒の時しか顔を合わせない白鳥さん。たぶんどちらも40代くらい。俺は知らなかったが、どうやら不倫の間柄で、長い間このバーを密会場所と決めて使っていたらしい。
 今日もいつもどおり二人で来店したので、定位置の壁際テーブルに案内した。そのあと、何がきっかけかは分からないけれど人目も憚らず揉めてしまって、店長が止めに入るという事件が起きたのだった。
「白鳥さんの見た目は好きだったんですけどね、美人さんで」
「お、馨佳、あんなふうになりたいとか思ってんの?」
「いやいや素材が違いすぎますって」
「でもさぁ、美人で仕事もできそうな感じで独り身で、今日のアレだろ? やっぱ欲が出たのかねぇ」
 なあ、と話を振られて戸惑う。
 完全に外野のつもりだった。
「あーっと、欲? ってどういうことですか」
「結婚したいとか、奥さんが羨ましいとかさ。年齢を考えたら、この先そういう相手はもうできないかもしれないっていう」
「それだったら別れた方がいいと思いますけどね、私は」
 馨佳さんが鼻で笑う。……ちょっと意外だ。
「不倫相手だって自覚があるなら、相手の家庭をどうこうしたいって思った時点で別れるべきじゃないかなあ」
「お前けっこうキツイこと言うのな」
 苦笑しながら、店長が缶ビールに口をつける。
 俺にとっては「不倫」という言葉があまりに縁遠くて、ただ会話を聞いて咀嚼するだけで、口を挟もうとは思わなかった。
「でも独占欲ってどうしても湧いちゃうもんなんじゃないのかね」
「相手のためにコントロールできないなら、最初っから不倫なんてしちゃいけませんよ」
「ま、そりゃそうだわな。結果、今日みたいな事件になって居場所をなくすかもしれないしなー」
「そうそう。こっちはこっちでお客さん減って困っちゃいますしね~」
 二人とも冗談めかして言いながら、この話はこれで終わり、という空気に持っていかれたような感じがした。たぶん俺に気を遣ってくれたんだろう。話題が他愛のないネットニュースに変わり、馨佳さんが二本目の缶ビールを開けた。
 高校時代に一人付き合ったことがあるだけの俺には、まだまだ理解できない話だと思った。


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