お正月の餅は丸餅か?角餅か??
『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』
わたしは北関東のからっ風が吹き荒ぶ群馬県で生まれ育ち、妻は長崎の大村湾沿いで生まれ育つという結構お互いの実家が離れている二人が都内の職場で偶然出会い、かれこれ十数年一緒に生活をしている。
これは偶然が重なりに重なった結果なのだと思うが、そんな北関東と九州北部というくらいに離れたところで生まれ育った二人ともなると、その文化の違いはなかなか興味深いモノである。
いろいろと違いはあるのだが、今回はこのお餅の写真を見かけたので、お正月のお餅の違いの話である。
結婚して初めてのお正月は妻の実家の長崎で過ごすこととした。
妻の実家での元旦の新年会で出されたお雑煮でビックリしたのが、お吸い物ベースの汁に中に入っているのが丸餅なのである。
事前に妻から長崎のお雑煮は丸餅だと聞いていたし、すでにそれ以前にも日本の西側は丸餅文化という情報は得ていたので、丸餅を知らなかったわけではないが、実際に目の前にするといつもの我が家の実家でのお雑煮との相違に改めてビックリしたのである。
わたしの実家は北関東なので、当然のことながらお正月のお餅といえばのし餅を切った角餅である。
今回あらためてちょっとGogle先生に聞いてみたところ、本来お正月のお餅は丸餅が正当なのだそうだ。
なるほど。この延長線上に鏡餅が存在するのだなということを今さらながらに理解した。
実は幼少の頃から、なんで普段食べているお餅は角餅なのに、神様にお備えする鏡餅は丸餅なのか?疑問に思っていたのである。
おそらく通常の日本史の視点でいうと文化の発信源は西から東へ広がって行ったので、もともとは丸餅だったのであろう。それが西と違って武家文化の方がより強く根付いていった関東以北では敵を打ちのめす!からきたのし餅に縁起を担いだり、江戸庶民の合理的精神から切り餅が浸透したりと独自の進化遂げていったことで、現在の西の丸餅文化、東の角餅文化が形成されているようである。
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