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その日、その時、ウェスタンリバー鉄道に乗車していた。

『ランダムに選んだ過去の写真からインスピレーションを受けた小咄、コラム、戯言などを書き留める写真で二言三言。』

2011年3月11日、この日我が家は妻の誕生日で久々のディズニーランド。
しかも、園内に一泊して翌日はディズニーシーと、一泊二日でディズニーを満喫するつもりで朝から張り切って出かけていったのだ。

開園時間から事前に練りに練ったプランの通りアトラクションを体験してランチタイム。
朝から動きっぱなしだったんで、お昼を食べながら少々休憩タイム。
午後はどの辺を廻るかプランを再確認してウェスタンランドへ。
いくつかアトラクションをこなしてウェスタンリバー鉄道に乗り、ウェスタンランドの外周を回り、トンネルに入りしばらくしたところで列車は急停車。
スピーカーからは恐竜がどうたらこうたらと聞こえてきたこともあり、てっきりこれは演出なのだと思っていたら、アトラクション以上の揺れを感じた.....。

2011年3月11日14時46分頃、我が家はウェスタンリバー鉄道に乗り、ウェスタンランドのトンネルの中にいたのである。
尋常では無い揺れとともに、トンネルの外に出るように指示が出る。
ひとまずは建物中では無く、なにも倒れてこなさそうな広いスペースに集合させらる。
この辺のディズニーランドのキャストの手際は素晴らしかったと思う。

後日ニュースなどでこの日のディズニー伝説のあれやこれやが取り上げられたが、その場にいたモノの一人として、まさに報道された通りのホスピタリティを目にし、体験した。
彼ら自身も大変な心境・状況であっただろうに、あの何千何万という群衆がパニックも起こさずに「みなの安全を第一」に考えて行動していたのは、ある種見事でもあり、神々しくもあった。

結局6時間近く広場での拘束ではあったモノの、21時頃にゲートが開放され、我々は当初泊まる予定だった園内のホテルへ。
道中当時報道でも流された沿岸部付近の映像と同様に盛り上がったアスファルトや液状化を横目にホテルへ。
ホテルはまるで難民キャンプかのようではあったが、いちおう予約はしていたため客室で身体を横にすることはできた。
しかし、夕食は当然のことながら無しで、宿泊客に限らずホテルに避難したディズニーシーの客にも雑炊が提供された。

翌朝、有楽町線は動いているという情報があり、早めにホテルをチェックアウトして、ガタガタの道を歩いていると運良くタクシーが通りかかり、タクシーで新木場まで。
新木場からは情報通り有楽町線が動いており、当時暮らしていた要町まで無事に帰宅することが出来た。

我が家の2011年3月11日の記録である。



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