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街の外れの街中華で徘徊の愉しみを知る。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

最近なぜか話題の街中華。
街中華というとどういうイメージだろうか?
わたしのイメージでは駅前商店街の一角に昔からあるお店である。けしてポツリと存在するモノでは無く、昔ながらの商店街に付きもののお肉屋さんや八百屋さんと同じように存在するお店、それが街中華であると思っている。

金沢に来て、さすがにまだ8番らーめんの魅力が解らなかった頃に他に美味しいらーめんが喰えるところはないものか?と会社の部下に聞いたところどうやら『珉来』というお店が旨いらしいと知る。

しかしこの珉来、Googleマップで調べてみたところたしかにわたしのマンションから歩けなくもないが、当時散歩なんぞなにが楽しいのか?と思っていたわたしにとってはこの距離を歩く道理がない。

というか、人間の好奇心とは恐ろしいモノで会社帰りのおそらく自宅のマンションを通り過ぎて金沢市内の男川といわれる犀川の手前まで歩いていったのである。
本来であれば写真を載せるべきであるが、この珉来では豚骨らーめんと鶏天丼、餃子をいただいた。
豚骨らーめんはまぁ普通の街中華レベルだったが、鶏天丼なるモノが鶏天にあんかけがかかっており、これはなかなかのものだった記憶がある。

話が食事の内容になってしまったが、今回のテーマは食事ではない。
この珉来での食事の後である。夕暮れ時の犀川の辺に始まり、初めて私は市街地でも観光地でもない金沢の駅西の光景を目にし、なんの目的もなく歩き始めた。
所々に走る水路が気になり写真に納めたり、奇妙な会社の看板を撮ったり。
そう、今に繋がるお写ン歩の真似事のようなことに面白さを感じ始めていたのである。

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